ミラクルフルーツ味覚修飾研究サイト(ミラクルフルーツ・味覚・ギムネマ・ミラクリン・食育・ミラクルフルーツ)

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■ 参加者の御感想


参加者の御感想

2013/05/21に実施した上越教育大学教育学部 大学院の皆さんのレポートです。

講演風景1 講演風景2



Aさん 

【味が変わる体験を通して】
 味が変わる体験をしたことがなかったので、今回の講義は楽しさの中に驚き、不思議がたくさんありました。
 最初にギムネマを噛んだ時、「不味い」と最初に思い、飴で口直しがしたいと思ったのに、飴を食べても甘さがないのには驚きました。感覚としては、舌を火傷した時に似ていると感じました。しかし、舌を火傷した時は甘味以外の味も感じることができませんが、ギムネマは甘味以外の味は感じることができる不思議な体験でした。
 味覚障害は、名前を聞いたことはありましたが、どんなものか知っているようで知らなかったのだと今回ギムネマの体験を通して感じました。味がわからないのは食事がつまらない、塩分取りすぎなのかということもわからない、命を失うことはないけれど、「生活」として考えると食生活がつまらないものになってしまうと思いました。QOLを考えると非常に食べるという行為は大切なものです。そう考えると、予防するために亜鉛を含む食材をきちんと摂取することが大切ですが、子ども達に、「栄養はバランスよくとらないといけません」と言って、分かっているようできちんと伝わっていないかもしれません。家庭科で栄養についてやる時に、今回のようなギムネマの体験をすると子どもたちはバランスよく食べ物を食べるということについて考えるようになるのではないかと思いました。
 ミラクルフルーツも面白かったです。酸味を感じたときにだけ、甘味を感じるものがあるなんて初めて知りました。まだまだ、アフリカ、他の地域にまだ発見されていない味覚修飾植物があるかもしれないというのはわくわくしました。今回体験したのは酸味を甘味に感じるミラクルフルーツでしたが、「苦味や辛味、もしかしたら旨味を感じるものもあるかもしれない」と思うと子どもに伝えた時、「不思議な植物がある」と思って、子どもたちは想像したり、自分から調べたり、理科や家庭科に興味をもつかもしれません。子どもは主体的に学ぶ時、とても楽しそうに生き生きと学びます。「教育」を考える時、「生き生きと学ぶにはどうすればいいか?」そのヒントになりました。
 味蕾は赤ちゃんの方が多いというのは最初聞いたとき驚きました。調理師やソムリエなど舌を使っている人は味蕾が多く、同じ味のものを食べていると味蕾は少ないのかなと漠然に考えていました。先生が赤ちゃんは味蕾の数が多いと言っていて、最初は驚きましたが、よくよく考えたら赤ちゃんへあげる離乳食は薄味であげますし、刺激物もあげないようにと親に言われました。親から「味蕾の数が多いから」とは習いませんでしたが、味蕾が多くあり、私たち大人以上に味に敏感なのではないかと話を聞いていて思いました。
 味覚修飾植物の今度の展開で、授業の中に出てきた糖尿病患者に対しての低カロリー食については自分が病弱児への教育について関心があるということもあり、興味が湧きました。病弱児は、従来の慢性疾患から肥満症の子どもたちが多くなっており、健康管理なども医療だけでなく教育で行う場面があります。肥満症や糖尿病を発症しているとなるとなかなか甘いものは食べられない、そんな時に低カロリーだけど見た目はおいしそうなお菓子で、ミラクルフルーツの錠剤を食べてから、低カロリーデザートを食べるとすっぱいものが甘くなるというのは本当にいいと思いました。病気についてあまり詳しくないのでわかりませんが、ほかにも食事制限がかかっている疾患の子ども達も、食べる楽しさを感じることができるかもしれないと思いました。



Bさん 

講義の感想
 「味を感じるには食べ物が唾液と混じり水溶液になることが必要」と聞き、言われてみればそうかと納得した。だから水分のない乾物は噛めば噛むほど味が出るのだし、「一口30回噛みなさい」の類も消化をよくするだけではなく味覚のことを考えた言葉なのだ。
 舌には多くの味蕾がある。気になるのは舌苔のことだ。舌がきれいでないと、味覚にも影響があるのだろうか。歯磨きのついでに歯ブラシでこすってしまう人もいると言うが、味蕾を傷つけることにならないのか。さいきんの小学校では、給食後に歯磨きをするところが多いようだ。舌のケアについても何かやった方がよいのかもしれない。
 動物によって味蕾の数が違い、蠅や蝶のように手にあるものもいれば、ナマズのように全身にあるものもいる。メダカや金魚では、どうか。教室の水槽で飼う小魚が、えさの味を肌で感じ取っていたらおもしろい。
 ドッグフードを人間が食べると薄味だと聞くが、魚のえさはどんな味がするのだろう。ライオンが獲物を食べるとき、はじめに小腸を食べて植物のエッセンスを取り込むという話はおもしろい。放射性物質との絡みで生物濃縮が話題になったが、肉食動物も植物由来の栄養素を生物濃縮で摂っていると言えるだろうか。
 人間の味覚は「経験と学習」に基づいており、赤ちゃんがいちばん味蕾が多いという。ならば味覚は住めば都で、まずいものでも食べ続けていれば慣れるはず。「メシマズ嫁」ほど「メシマズ母」という言葉を聞かない理由はそこにあるのだろう。
 好き嫌いには食事の雰囲気も影響する。NHKハートネットTVの児童虐待を扱う回で聞いたが、児童養護施設の食育とはまず「食事とはあたたかいものを一緒に食べること」だと体験させることだという。併せてなるほど、と思う。
 授業の試食体験では、ミラクルフルーツのタブレットを噛んでからレモン汁を飲んだ。菓子のなかにミラクルフルーツの粉末が入っていたらどうなるだろう。例えばフルーツケーキの生地にミラクルフルーツが練り込まれているとか、クリームに混ぜ込んであるとかの場合だ。食べている途中に味が変化しておもしろいのではないか。
 あるいは「ねるねるねるね」のような駄菓子。あれは練って色が変わるのが売りだが、食べている途中で味も変わってしまうというのはどうか。ラーメン店には特性の薬味を出して客に「味変」(途中で味を変化させること)を促すところがある。スープにはじめからミラクルフルーツが使われていたら、勝手に味が変わる。そんな商品開発もありそうだ。
 味覚修飾植物には、今のところ医療向けの用途が考えられているようだが、普及するようになれば味を楽しむために活用される場面が多くなるのではないか。



Cさん 

味覚と日常生活の関わり
 味覚教育の授業を受けてみて、舌という器官に興味を持つことができた。ギムネマを口にしてみると甘い食べ物が普通の味、もしくは苦い味になっていることが体験をすることでわかった。この体験を行う前に似たような私自身、能がバカになっており、だまされているのではと考えていたが、舌にその原因があることが講義でわかった。また似たような経験として甘いジュースを飲んだ後に果物を食べる、または歯磨きをした後果物を食べると非常に苦い味がした記憶がある。このような経験から「どっちから先に食べたらいい?という家族での会話は私自身まれにある。このように、味覚教育というものが意外に身近にあったということを改めて考えると普段から私たちが経験していることだということが分かった。
 上記のよう「味覚」について知るということは非常に食育という観点から教育的意義があると考えられる。内閣府政策統括官付食育推進室が作成した『食育ガイド』においてp4では次のようなことが記されている。それはそれぞれのライフステージで大切にしたい食育の取り組みである。特に学童・思春期では「食の体験を深め、自分らしい食生活を実現する」とある。つまり、食の体験がこの時期には必要不可欠になると推測できる。したがって甘い、苦い等を授業の中で体験を通して行うことは重要である。とりわけ、その中でも家庭科がそれを背負っている部分は大きいのではなかろうか。もちろん、家庭科の身ならず、総合的な学習の時間や生産から食卓までの社会、環境教育の理科など横断的なつながりも必要であろう。
 その中でも味覚は子どもたちにとっては面白い体験となるであろう。単に、味が変わるというだけでは学習にはならない。面白いだけではなく現代社会に密接に関わっていることが重要と考える。その例は味覚障害の話の必要性である。事実、私たちの身近にコンビニエンスストア、ファストフードがある。学部時代に先輩が数か月、毎日コンビニの鬼義を食べて生活していたところ、味覚障害になったということを先生に何度も言われた過去がある。出身学部が農業系なため食育のことは多く授業を受けてきた。したがって、味覚障害はコンビニの利便性を重視しすぎた結果、発症してしまうと言うことが出来る。この味覚障害は一人暮らしをする学生に多いと考えられる。この知識を小さい時から知っておくことである程度は防ぐことができるのではなかろうか。亜鉛は恐らく中学校の授業で取り上げられるはずである。つまり、「生きる力」として考えた場合確かな学力を以て「基礎・基本」を子どもたちに身に着けさせる良い機会となるのではなかろうか。

参考文献
内閣府 政策統括官(共生社会政策担当)付食育推進室『食育ガイド』



Dさん 

味覚ってすごい!
 本講義を通して「味覚」について大きく3点に分けて興味・関心を持つきっかけとなった。1つ目はうま味について、次に人が美味しいと感じる要因とは何かということ、最後に様々な情報に惑わされないよう正しい食の知識(食育)を身に付けることだ。
 本日の講義のなかで「うま味」と「味蕾」の話が出た時に、この2つが私の中で直線を結んだ瞬間があった。それは今年の3月にNHKで放送されていた某番組で、「うま味」について特集を組んでいたことを思い出したためだろう。今専ら世界中のシェフを騒がしているのは「うま味=umami」であるということを知った。和食を中心とした食生活を送る私たち日本人にとって、うま味は慣れ親しんだ味であるため、2002年にその成分の受容体が舌にあることが世界中で認知されるまで今ほど国内で騒がれてはいなかった。それが最近では、うま味の話題や商品が至る所に溢れている。日本人が海外へ行くと欧米人との味覚の違いによく驚かされると聞く。これは私自身も体験しているので納得がいく話である。特にアメリカでは、高カロリーのハンバーガーやフライドポテト、ピザなどのファストフードをほぼ毎日食べても飽きないみたいだ。こうした添加物の多い食品や色鮮やかな着色料がついた菓子を幼少期から与えられているせいで、そうしたものを好む傾向になるのだろう。世界中から見てもアメリカ人は肥満体質の割合が高いとされている。これに対して、日本人は欧米や気候の暑い他のアジア諸国に比べて、四季折々の食材を使い、目で見て、香りを楽しみ、舌で味わう日本食の文化のなかで生きている。こうした繊細な日本食を堪能できることは、つまりその味覚を感じる味蕾が発達していると結論づけることはできないだろうか。このことからも、「人間にとっての味覚とは『経験と学習』だ」ということが良くわかった。昨今さらにうま味の研究が進んできているそうだ。「うま味は味覚として食物の摂取に関係するだけでなく、内臓感覚として消化にも深く関わっています。現在、食物摂取の□脳での認知、および消化の引き金としてのうま味物質の有効活用に関する研究が国内外で進んでいます」(味の素のHP よりhttp://www.ajinomoto.com/jp/rd/topics/detail/umami.html)。これからも、うま味の開発がさらに進み、世界中で浸透されていくことは間違いない。
 次に、人が美味しいと感じる瞬間とはどんな時なのかということだ。印象的だったのは、大勢でわいわい食べている時は美味しいと脳の扁桃体で感じることによって、より一層美味しさを感じられるということ。つまり、他の五感で感じ取った情報を脳が受け取って、それが味覚の相乗効果を高めるのだ。最近の若者の間で味覚障害のある割合が高いことを考えると、きっとそれは仕事帰りに疲れ切って、コンビニ弁当や惣菜を家へ帰って一人きりで食べていることとも関係しているのかもしれない。ひとりで食べる食事は本当に寂しく、体力と精神力を消耗しきっていると食欲さえ湧かないこともある。食事の味を楽しむこともないのではないか。それと並行して私が懸念しているのは、若者だけでなく、もっと低年齢の子どもたちにも味覚障害が及んできているということだ。特に都心の子どもの両親は共働きで家にいる時間が少ない。それに加え、コンビニ食で育ってきた世代の親だと、自分と同じように子どもにも出来合いの弁当を買ってきて済ませることが多々あるはずだからだ。そう考えると、日本人の食文化も危なくなってきていると感じずにはいられない。
 3点目の情報の観点から考えると、様々な食品表示や風評、高い商品(ブランド性の高いもの)が必ずしも正しく、安心だと思わない方が良いということだ。そこには、企業の営利目的で販売している場合や、価格設定に関しては消費者の心理をついた巧みなマインドコントロールが潜んでいるかもしれないためだ。なぜか高い商品や海外製品だと、これだけ値段もするのだからとか、特に理由もなくブランド自体に魅力を感じてしまう消費者もいるのではないか。もっというと、風評被害なども厄介である。人間同士の噂や情報収集力は凄まじい。2011年の大地震の後に、トイレットペッパーや調味料が品切れだというメディアからの情報や噂が飛び交った時の、スーパーでの人々の買占め率が尋常ではなかった光景を思い出す。このことからも、ある程度の情報を集めたうえで、きちんと自分のなかで処理し判断することが出来る目をひとりひとりが持たなければ、常に誰かに信憑性の薄い噂に振り回され、誤った情報によって操作されてしまう消費者になる可能性がある、ということだ。小学生程度の段階から、こうした食育に関する知識や考えを身に付けさせることは、その先子どもたちの力に大いに役に立つだろうとも思う。だから、学校教育の現場でも食育に注ぐ時間をもっと増やす必要があるはずだ。
 こうして以上の3点だけを振り返っても、現代の子どもたちに伝えなくてはいけないことが盛り沢山だ。今回私自身が学び考えたことを、自分が教師になった際に授業を通じて伝えていく必要性があると強く感じた。それも、島村先生のようにミラクルフルーツなどを使って、子どもたち自身の五感を使って、楽しく惹きつけるような授業を展開できたら理想的である。同時に、教師と児童にとってとても意味のあることだと思う。私たち人間の生活に密着した教科が家庭科なのだと、今ようやくわかったような気持ちだ。最後になりましたが、数年後に私が教壇に立った際には、ぜひその学校へ先生をお招きし、子どもたちの目をきらきら輝かして頂けたらいいな、と思っています。とても楽しい講義をどうもありがとうございました。



Eさん 

味覚を通して子どもの食生活について考える
 まず講義の内容で印象に残っていることは味蕾というのが鍵穴だということである。鍵穴が埋まるとスイッチが入り電気信号として脳に伝えられる。「なるほど。」と思った。ナマズが20000個もの味蕾を持つ意味が知りたかった。
 次に好き嫌いのメカニズムでは子どもの頃の味覚についての記憶を辿ってみた。現在好き嫌いは全くない私だが、子どもの頃はどうしても白い物が食べられなかった記憶がある。味というよりも色が白いもの全般がだめであった。当時自分が目にした食べ物の色と想像した味とのギャップが不快に感じていたことがきっかけだった。私が連想する白い食べ物の味は、「甘い」であった。ところが、世の中の白い食べ物(例えば、豆腐、乳製品、白米、プレーンヨーグルトなど)は味がそれほどついておらず、何か調味料と一緒に食すものが多い。そのことは私の白い食べ物への好き嫌いのメカニズムで学んだ@の第一印象だと考えられた。私の場合直そうと思ったわけではない。しかし中学生の時お弁当で白いご飯をふりかけなどではなく、付け合わせのおかずとともに食べるようになったことがきっかけで克服した。当時部活が大変でお米や付け合わせで出てくる牛乳を飲まないとやっていられなかったことも原因の一つと考えられる。このように私の場合は、中学校でスポーツを始め大変疲れて、自然とおなかが減ることを体験するようになったことが克服の機会となった。
 その点において、就学中の運動経験は大切だと思った。子どもの頃の味覚の形成が非常に重要であると話されていたが、この時期に疲れ切らない生活をすると奇食に走るのではないのかと考えられた。疲れ切らず食べない生活をしている子どもは当たり前だが体力がない。小学校で移動教室の指導員をした際、1週間子どもたちの食と向き合う機会があった。総合単元学習の農村体験なのでハイキングや田植えなど身体を使うことが普段より多く、スケジュールもみっちりである。そこで目についたのが体力のない子どもと食の関係である。食も授業の一環として学びなので、ポテトチップスなどのおやつは出ない。その代り御焼などの郷土料理がわんさか出てくる。ところが普段カギっ子でご飯がポテトチップスなどのお菓子で済ませてしまうという子どもはほとんどこの様な食事は受け付けない。ハイキングなどもそのような偏食の子どもとそうでない子で大変な差が出てしまっていた。話を聞くと、疲れているせいか何事にも消極的で好きなことはテレビを見るといったことであり普段から動くことは好きではない様子である。しかし決して運動神経が悪いわけではなく、短距離などでは速い方に分類されるので驚きである。
 今回味覚の形成という視点から、私がとても問題に感じたことがこの子どもたちである。最後に味覚障害に関してお話があったが、実際その子どもは七味唐辛子などの刺激物は好きでなんにでもかけていた。せっかく農村体験で日本人が普段口にしなくなった食を体験できるというのにこれでは何の意味もない。おそらく普段の無気力がこのまま続けば、中学生になっても疲れ切ることはしないであろう。その子は現在中学生になっている。今回の授業を通して味覚の良さと恐ろしさを知った。是非この子が私のようにどこかのきっかけでおいしいと感じてくれるようになったらと思う。



Fさん 

「味覚教育〜味覚おいしさの不思議〜」を受講して
 今回「味覚教育〜味覚おいしさの不思議」の講義を受け、私が最も強く感じたことは「体験することの重要性」です。「人にとってのおいしさ」という話の中で、文化に合致したおいしさというものがありました。私は、人の味覚の形成には大きくこの部分が関係しているのではないかと思います。それは、幼少期にさまざまな食べ物を食べることで味覚が形成され、偏食などが少なくなるといった話を聞いたことがあることや親しんだ味はおいしいと感じるからです。私自身、海外に旅行に行ったときに現地の食べ物があまり口に合わなかったという経験があります。もちろんおいしいと感じるものも多くありますが、「口に合わないな」という経験はよくあることなのではないでしょうか。
 また、このような味覚の形成は嗅覚にも似たようなことが言えるのではないかと感じました。においにもそれぞれの家庭のにおいがあったり、慣れ親しんだにおいは落ち着きやいいにおいだといった感じを人に与えるものであると思います。以上のように、個人が今までにどのような食の経験を持ったのか、ということがおいしい、おいしくないといった味覚に関しては、非常に重要なのだと感じました。
 さらに、味覚修飾植物が糖尿病患者への生活習慣の改善に利用がなされているということに感銘を受けました。私は中学校教員を経験したことがあるのですが、その時に糖尿病を持つ生徒がいました。学校生活における給食に制限があるのはもちろんのこと、特に修学旅行など食べ物が多く出てくる場においても当然、食事制限が生じてしまいます。幼少中高などの時期は育ち盛りであり、食べたいというものも多くあるのではないでしょうか。そこに制限が生じてしまうのは、本人にとって非常に辛いことだと感じます。味覚修飾植物が医療現場だけではなく、教育現場に入って来ることも考えられることあり、そのような面で今後の研究に注目していきたいと思いました。
 また、味覚修飾植物を用いて味を一時的に操作することは、普段何気なく感じている甘味や酸味などを改めて感じ直す機会となりました。今後の食事の中で味覚をより意識することにつながっていくことと考えます。
 日常生活の中で当たり前に感じている味覚ですが、改めて味覚とはどのようなものであるのかを考え直させられた講義でした。甘いとは何か、酸っぱいとは何か、さまざまな味があることで食事を楽しむことができるのだと思います。私は特別支援学校の教員を目指しています。特別支援学校に在籍している児童・生徒には偏食が激しい子どもも非常に多く在籍しています。そのような子どもたちに食事と取るということ、味を楽しむということの喜びなどを体験させられるそんな活動を考えていきたいと思います。



Gさん 

初等家庭科指導法「味覚教育〜味覚おいしさの不思議〜」講師:島村光治先生
・講義で感じたこと、分かったこと、興味をもったこと。また味覚修飾植物の今後の展開や味覚について知ることの重要性(項目は分かれていましたが内容が分けづらいので一箇所に書かせていただきます)
 講義を受けて最も興味をもったことは「味覚のコントロール」である。講義を受けるまではそもそも味覚について深く考えたこともなかった。私は食べ物の好き嫌いも特になく、甘いもの、辛いもの、塩っぱい、酸っぱい、苦い等どんな味でも味として感じることができるからである。恐らく味覚教育について専門家の先生方が問題意識をもっているのはそこではないだろうかと察する。誰もが味覚を無意識のうちに入れてしまっているため、その仕組や役割に目を向けられないでいる。だからこそミラクルフルーツやギムネマのように手軽に誰でも味覚を意識化できるものが求められるし、それを語ることのできる島村先生のような方が重宝されるのではないだろうか。
 舌にこすりつけるだけで自分の味覚が変化する体験は、誰もが驚くことであろう。その驚きが舌の構造や味の仕組みへと興味関心を抱かせる。「なぜ味が変わるの?」という疑問が味蕾の学習の動機になるのである。ここでは「鍵と鍵穴」というわかりやすい説明があったため、容易に理解することができた。味が舌の味蕾からどのように脳へ伝わっていくかを学ぶと、そもそもなぜ味蕾があるのか、味蕾は何のために舌に存在するのかという疑問が発生する。すると酸味や苦味は身の危険を伝えることが元来の目的とのことで、人間も動物も味覚は生きていく上で役立つものがそれぞれ美味しく感じるようになっていることがわかる。しかし人間は必ずしもその目的を継続して有しているわけではない。ときには「辛さ◯◯倍!激辛カレー」のような刺激物を食べたくなることもある。人間の味覚とは、我々が日常で感じる「おいしい」とは一体何であるかという疑問が生じ、4つのおいしさの学習につながる。このように疑問が連鎖することで一定の学習意欲を維持したまま学びを深めていくことが可能である。この味覚学習の最も大切なことは疑問の連鎖のスタートが味覚コントロール体験からスタートすることである。自身の体を使って、課題を体感することは、他のどんな教材よりも効果的である。今回はミラクルフルーツとギムネマの2種だけであったが、他の味覚をコントロールできるものが登場すればさらにおもしろい体験学習ができるであろう。ホームページに記載されている「クルクリゴ」や「ケンポナシ」なども体験してみたい。教育現場において児童の既成概念を打ち破ることは最も効果的な手法である。
 またこの味覚修飾植物が糖尿病患者など医療分野で活用されているという話も印象的であった。味覚教育で味覚修飾植物を用いても、結局は学習の動機付け等の補助教材にしかならないが、医療分野での活用は直接患者の食生活を支えている。私はこの分野でのミラクルフルーツやギムネマ等の味覚修飾植物の活用を推奨するとともに、今後登場するであろう新たな味覚修飾植物がさらに病気に苦しみ食事に苦しむ人々を救うことを期待する。

・その他自分の意見・感想
 内容には直接関係はないが、16歳から研究を進めているという話にとても驚いた。私も10代の前半から研究を続けているものがあるため、少し近いものを感じた。私の研究は芸術分野のものであるため、困っている人を助けるとか支えるなどの社会貢献にまで結びつけることはできないが、島村先生は16歳から研究していることが世に認められ、病に苦しむ人の助けになっているということで大変羨ましくも感じた。今後も研究を頑張って欲しい。
 また味蕾というものの存在を初めて知ることができ、喫煙をすると料理がおいしくなくなるという噂につながっているように感じた。タバコに含まれる物質が味蕾を覆ってしまうとしたら、正常な味覚は得られないのであろう。
 このように味覚は常に自身の一部として機能しているのであるが、その働きは無意識のうちである。自身の体の機能の一部を際立たせ「味覚」の既成概念を揺さぶることができる味覚修飾植物は、これからの教育現場及び医療現場で活躍していくことだろう。

・参考文献もしくはウェブサイト
「島村光治のホームページ」:http://www.taste-m.com/index.html
私が今回島村先生の講義を受けて印象に残ったことは、大きく2つある。



Hさん 

「味覚教育〜味覚おいしさの不思議〜 で学んだこと」
1.講義で感じたこと,分かったこと,興味を持ったこと.
 今回の講義で,人間の(うまく表現できないが)動物的な一面を感じた.なぜ酸味や苦味に対する舌の感度が高いのか,なぜ成長にしたがって味蕾の数が減っていくのか,一つずつ知るごとに,自分自身の体=人間の体に興味を持った.同時に,これまで食に対する関心は高かったにも関わらず,味を感じる味蕾には気を配ってこなかったことを反省した.
「ハエは,手に味蕾がある」という話があったので調べてみた.栗原[1990]では「ハエは食べ物の上にとまって足の裏で味を味わい,好ましい味を感じたら口から吻を伸ばし,食べ物の汁を吸う.そして口のまわりの感覚毛で再び味をチェックし,食べ物を飲み込む.」と紹介されていた.鳥であれば地上にある食べ物に向けて一直線で下降するが,ハエは食べ物のまわりをグルグルと回ってから食べ物の上に着地し,しばらくその場にじっとしている.おそらく,栗原の指摘通りのことが行われていたに違いない.食べ物の上にとまっている時点でハエが味を味わっていたと考えると,とても興味深い.佐藤[1981]では「ヒトとハエは進化の両極にありながら,グルコース類におけるヒトの甘味の基本構造は,ハエのそれと驚くほど類似している.」とあった.なぜ,食べ物のまわりにハエが集るのかと考えたときに,甘味に対する嗜好性が類似していたのだとすると納得できる.思いもしなかったことであるが,日常の生活のなかでのハエとの向き合い方を,味覚を通して見直すことができた.

2.味覚修飾植物の今後の展開や味覚について知ることの重要性
 ミラクルフルーツが糖尿病患者の食事に役立つことを初めて知った.ミラクルフルーツやギムネマのような味覚修飾植物は,子どもたちへの食育へも繋げることができると考える.近年,ピュイゼ・メソッドのような味覚の授業が行われてきてはいるが,日本の子どもたちには縁遠い題材(フランス料理)かつ様々なステップを踏む必要があるため,子どもたちが味覚に関する学びを深めようとするのはなかなか難しい.そのなかで,今回の講義のように,一人一人の子どもたちが体験し,味について身をもって感じ考える時間は,とても意義のあることだと考える.刺激のある体験を入り口として,子どもたちが味わう楽しさを追究したいと思うことができれば,食育の役割を果すといえるのではないか.

3.感想
 小学生の頃,夕方になると「我が家の味」を五感で感じとり「晩御飯は,から揚げでしょ」と祖母や母と話したことを思い出した.ファストフードや外食が一般化した現在では,小学生に言ってもあまり伝わらないかもしれないが,食べ物を味わい楽しむことはこれからも大切にされていってほしい.将来,教師の立場になったとき,好き嫌いのメカニズムを踏まえながら,「楽しい給食の時間」を作っていきたい.

4.参考文献
佐藤昌康[1981]『味覚の科学』(朝倉書店)
栗原堅三[1990]『味覚・嗅覚』(科学同人)
Jacques Puisais:著,三國清三:監修,鳥取絹子:訳[2004]『子どもの味覚を育てる ピュイゼ・メソッドのすべて』(紀伊國屋書店)
【講義,ありがとうございました.】



Iさん 

「味覚」に関して考えたこと
 今回の講義で一番強く感じたことは、口の中は想像をはるかにこえて繊細に作られているということです。今まであまり意識することがなかった味覚、味を感じる仕組みについて初めて深く考えるきっかけとなりました。私は味を感じて表現する力があまりないと思っています。しかしこれを機に一つ一つの料理や素材の味を感じ、日本人特有のうま味も感じることのできる人間になりたいと思いました。
 紹介して頂いたギムネマ、ミラクルフルーツは初めて聞いたものでしたが、医療現場での活躍という点に特に興味がわきました。味覚を変化させることで人の役に立つことがあるのだと考えさせられました。高齢化が進むこれからの日本でさらに役立つことがありそうだと感じます。もしかしたら将来的にはギムネマやミラクルフルーツが必須の時代が来るのではないかと思っています。また好き嫌いのメカニズムにも興味を持ちました。食事中の雰囲気や経験によって、本来食べられるものも嫌いなものになってしまうというのは避けたいことです。幼い頃の経験、周囲のサポートが重要だということを感じました。
 「食育」について考えた時に、自分の経験や最近の教科書などを見ると、あまり力をいれられていないのが学校教育の現状ではないかと思います。そこで味覚修飾植物を使うことは、大変興味があります。多くの人が知っていそうで知らない、でも私たちにとって非常に重要な味覚という点に注目して学ぶことは必要だと思います。味覚というと、どう提案したらよいか難しいと感じていましたが、島村先生の講義は子どもたちも興味を持って体験できるのでないかと思いました。小学生が対象の島村先生の講義をぜひ見てみたいです。外国では味覚教育に力を入れている国もあるようです。そのような国から学び、新しい教育感覚を取り入れることは大切だと思います。,br>  人間の体は本当にうまくできていると感じました。酸味や苦みが毒物のシグナルというところに、太古の人々はいまより数倍味覚が発達していたのだろうと思い、人間の味覚の歴史的な部分にも興味がわきました。機会があれば調べてみたいと思います。
 この講義をきっかけに味覚から古代の歴史にまで興味を持ってしまいましたが、それほどの奥深い学びが「味覚」にはあるのだと感じました。今回は貴重なお話をありがとうございました。

参考
島村先生のホームページ:http://www.taste-m.com/index.html



Jさん 

本当の味を知ることの大切さについて
・講義で感じたこと、分かったこと、興味を持ったこと。
 今回の講義を聞いて、なぜ味覚は少しの変化で変わるのか不思議であった。ミラクルフルーツを食べると、レモン汁がなにもすっぱく感じなくて、かなり驚いた。この体験をしたときに、味覚の問題なのか、または脳が感覚的に勘違いをしているのではないかなと疑った。なぜなら、味覚などの五感は直接的な刺激のみを感知すると思っていたからである。そう考えると、この感覚は「なんでだろう」という問いが生まれた。
 今回の講義で、「味蕾」というものを初めて知った。私は小さいころ、舌をよく観察していたのを覚えている。口内炎ができたときに、特に気にしていたのが乳頭である。「なぜ舌はこんなにざらざらしていて、小さな突起のようなものがたくさんあるんだろう」とずっと疑問に思っていたことが、今になって正体が判明した。私はずっと疑問に思っていたが、学校の授業の中で舌について扱われることもなく、ずっと今に至ってしまった。でも、今回の講義で舌は味覚の反応をすばやく脳に伝え、その刺激を判断する人体のしくみを学ぶことができた。「ああ、そういうことだったのか」という納得の気持ちが生まれた。このような気持ちこそが、子どもたちが学ぶことを楽しい、おもしろいと思える授業なのだと実感した。
 食べ物の好き嫌いのメカニズムについて説明があったが、そのメカニズムについてとてもおもしろいなと感じた。私たちは普段から好きなものを選択して食べているが、これから食べることに対して意識するようになる。好き嫌いのある人は多く、しかも大人になってから好き嫌いが変化するというおもしろい現象が起こる。それについて興味深く、「経験」などが影響しているとのことであったので、「確かにそうかも!」と感心した。子どもたちでも好き嫌いをする子はやはり多い。食べることに対して、しっかりと味覚教育をするとこれからの食生活への意識は変化するかもしれない。それが、将来の食生活にもつながる大切な学習になるだろう。

・味覚修飾植物の今後の展開や味覚について知ることの重要性
 味覚修飾植物のはたらきとして、食べ物の味を買えるだけでなく舌にイタズラをして一時的に味覚を変えるとのことであった。味覚障害という言葉はよく耳にするが、味覚修飾植物というものについて初めて耳にして、やはり日頃の食生活の重要性に気がつくことができた。もっと食べ物の栄養素について学ばないとと感じることもできるし、子どもたちが食べ物を選択するときの重要な基準にもなり得ると思う。

・その他自分の意見・感想
 食べ物の授業を行うにしてもそうだが、「もっと知りたい」とか「なんでこんなことがあるのだろう」という素直な疑問をもって取り組める授業をつくりたい。子ども自身のやる気とか意欲を湧かせる授業こそが、学習することのいいところなのだと思った。子どもに対して伝えたいことを、正確にまとめて楽しんで授業をしていきたいと感じている。

・参考文献もしくはウェブサイト
小学校学習指導要領家庭編,文部科学省



Kさん 

1.講義を通して感じたこと、分かったこと、興味を持ったこと
 島村先生のお話を聞いていて一番最初に気になったのが、好き嫌いのメカニズムの話でした。好き嫌いの多くが最初の第一印象で決まってしまうというのは聞いた最初は疑問に思いましたが自分のことに当てはめると簡単なことでした。私も以前まではイクラを食べることが出来なかったのですが、それは子どものときにイクラが食べ物に見えなかったというのと口に入れたときのあのつぶれる感覚が嫌いであった要因であったと思う。今では普通に食べられるようになりましたが、食べられるようになったのも島村先生がおっしゃっていたように好みがシフトしたからであると考えられる。

2.味覚について知ることの重要性
 今、日本の学校では第一次食育推進基本計画が終わり、第2次食育推進基本計画が進められている。食育と味覚教育、この2つは併せて考えることは難しいと述べている方もいらっしゃいますが私は、今の世の中だからこそ食育分野の中で味覚教育を進める必要があるのではと思う。
 第2次食育推進基本計画の中で「国民の心身の健康の増進と豊かな人間形成」を育成することが盛り込まれている。島村先生がおっしゃられていたように、若者の中で広まりつつある味覚障害を防ぐには、日本食を見直す必要があるということでしたが第2次食育推進基本計画でも同じような条項があり、健康づくりをするには体に良い食品を選ぶ選食力の育成が必要であり、日本の食文化を見直すことも折り込まれている。
 つまり味覚を知るということの重要性は、人々の健康づくりと豊かな人間性を育てることにあると考える。

3.感想
 今回、初めて味覚修飾植物を体験し、味覚のことを学ばせるには最適な教材だなと感じました。フランスのジャック・ピュイゼから始まった味覚教育も確かフランス国民の肥満度の解消を当初は目的としていたと記憶しています。日本でも学校現場での実践は少なくても、2010年ごろから日本でもフランスと同じような「味覚の1週間」が上陸し、児童生徒に味覚の大切さを説いていた。
 私は味覚の形成はそのまま、人間形成につながっていると考えています。おいしさを知るうえで人は五感で感じたこと脳で処理して、それがおいしいのかを判断している。ジャック・ピュイゼの著書『子どもの味覚を育てる―ピュイゼ・メソッドのすべて』のなかで「子どもたちに感覚の世界を通して新しい自由を発見させることがコミュニケーションの重要なファクターになる」と述べ、また「自分と違う隣人の味覚を受け入れると、その人をよく理解できるようになる」とも述べている。
 つまり個人の味覚の差異を認めそれを尊重しつつ味覚を「目覚めさせる」ことよって人間形成を図ろうというのが味覚教育であり、日本の食育の中で実践されることによって第2次食育推進基本計画で記述された「国民の心身の健康の増進と豊かな人間形成」に役立つのではないだろうかと私は考える。

4.参考文献
・ジャック・ピュイゼ(2004年)「子どもの味覚を育てる―ピュイゼ・メソッドのすべて」紀伊國屋書店
・小川雄二、中田典子(2011年)「五感イキイキ!心と体を育てる食育」新日本出版社
・内閣府「第2次食育推進基本計画」:http://www8.cao.go.jp/syokuiku/about/plan/pdf/2kihonkeikaku.pdf
(取得:2013年5月29日)



Lさん 

「味覚教育〜味覚おいしさの不思議〜」の講義を通して
 今回の講義を通して、まず自分は味覚について知っているようで知らないことを多く学ぶことができた。それは味覚地図のことや、味覚そのもののことなど、私が家庭科で習った時のものとは異なったものもあった。他にも、味覚障害に結びつく食習慣や、好き嫌いのメカニズムなど、普段何気なく通り過ぎてしまいそうな問題も具体的に知ることで実感をもてるようになった。
 味覚について知ることで、食事の好き嫌いに関しても、感覚だけで判断し拒絶するのではなく、調理法の工夫や経験を積み重ねていくことや気持ちの切り替えで克服できるものであることも知り、これを自分が教員として子どもの食事指導をする時に工夫できるのではないかと感じた。また、味覚修飾植物は、医療現場でも用いられており、糖尿病患者にとっても、ただ食事制限することで辛い思いをさせるのではなく、精神的なゆとりを持たせることができると思った。実際に栄養を摂取できたかどうかではなく、味覚で甘さを感じることができれば欲求を満たすことができ、ストレスを軽減させて病気と向き合うことができるからだ。
 次に自分が教員になった時に、味覚に関したことをいかに生かしていくかを述べていきたい。例えば家庭科の授業で調理実習を行う際にも、ただ決められた料理を調理するのではなく、「自分の苦手を克服しよう。」というような授業を計画し、自分の嫌いである食材を使った調理を試みて、自分で作ったものを食べるおいしさを味わったり、調理法の工夫を考えられるようになったりするなど、自分の食の好き嫌いを向き合うことができる。他にはギムネマを用いて、甘さを感じない体験を通し、味覚障害に陥った時の疑似体験から、普段の食生活を見直し、過度なファストフードを摂取することや、それを防ぐために必要な亜鉛が日本食の食材に多く含まれていることに気づくなど、日本の食文化にまで知見を広げることもできる。
 これらのように教科書の内容にある文章をただ読んでいくだけでなく、実際の体験を通して、食のよさや問題点に気がつけることは、生活に密着している教科としては大事な点であり有効な手段だと言える。
 今回の講義を通してそのような考えに至れたことは大きな成果であり、これから自分が教員になった時に子どもの関心をよりひきつけるような授業を行っていきたい。

参考文献
文部科学省(2008)『小学校学習指導要領』東京書籍
文部科学省(2008)『小学校学習指導要領解説 家庭編』東洋館出版社