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■ 参加者の御感想


参加者の御感想

2009/5/19に実施した上越教育大学3年・大学院の皆さんのレポートです。

講演風景1 講演風景2


A・BクラスC・Dクラス大学院


■A・Bクラス

Aさん 

 味覚教育という分野について、元々関心を寄せていました。というのも、2年時の食教育の授業を受講している中で特に興味を持ったのが味覚形成と食教育という題目だったからです。ですから、たいへん授業を受ける前も、途中も楽しかったです。
 まず、はじめに味覚は、嗅覚とともに化学物質が刺激となって生じる感覚で、それは原始的感覚と言われています。今回の授業では、人にとってその原始的感覚がとはどのようなことかを詳しく学びました。たとえば苦味は食品に含まれている毒物の可能性を表しているということを生物の本能的に感じ、危険を回避することができるということです。このことから、子どもの頃、ピーマンやコーヒーが嫌いだという子が多いのは、初めて食べたときの原始的感覚として拒絶したことが影響しているとも言うことができるでしょう。しかし、味覚は年齢を重ねるにつれて変化していくそうです。実際私もこの経験があり、昔は苦手だったフキノトウですが、今では食べることができるようになっています。
 次に、子どもの頃の味覚の形成が非常に重要であるということについて学んだことを中心に述べていきたい。人間は、胎児の時から味がわかっているということが羊水飲みの実験によって明らかにされているそうです。また、この授業でも人間の味蕾の数は赤ん坊の時は12,000個で、大人の約2倍だと学び、子どもの頃は味に対して多感な時期だと言えることができるでしょう。人間の味覚の形成は9歳〜12歳までだそうで、この年齢に、調理法を工夫したものや、おいしいものを食べさせたりすることによって、きちんとした味覚を形成することができるそうです。このおいしいと感じるには
@生理的欲求に基づくももの
A文化に合致したもの
B情報に基づくもの
C薬理学的なもの
の4つがあると授業で学びました。この中で幼少期に影響しているのはAです。親の作ったものをおふくろの味として慣れ親しむし、親がおいしく食べる姿を見てこどもは食べようと思ったりするようなので、責任は重大だと感じました。また、子どもが楽しく食事することができるような雰囲気作りも大切だと思いました。たとえば一緒調理してみると、自分も調理の一部にかかわったという意識が生まれ、食べることに積極的になり、楽しい雰囲気でたべることができると思います。また、嫌いなものを子どもが自主的に食べた時にすごく褒めてあげるという行為も大切だと思います。また、幼少期の食と言えば学校給食で、教師もこのようなことに気をつけなければならないと思いました。給食を食べる前にメニューにまつわる小ネタのようなものを1つ紹介するだけで、食べるときの雰囲気を変えることができると思います。
 最後に、この授業の最初と最後に実際にした、ギムネマとミラクルフルーツの作用の体験は大変驚きました。なぜそのような作用が起きるのかということも分かりやすい説明によって理解することができました。もともと両方の植物とも名前だけは知っていましたが、実際体験したことで忘れ難い植物になりました。このように実際に体験させることで子どもの食への関心を高めることができると思いました。実際に私自身もより食への関心が深まったと思います。
 このように、現在の私たちの食には、味覚による原始的感覚、幼少期の食生活・食環境、食品のもっているさまざまな特徴、それを取り巻く多くの情報によって作られているといえるでしょう。しかし、根底にあるのは、自分の食に対する意識であり、それをより良い方向に磨いていく、あるいは新たに培っていくことが大切なのだと思いました。



Bさん 

 今回の授業を受けて、私は「味覚教育」という言葉自体を初めて耳にしました。味覚障害などは一般的に知られている言葉なのでもちろん知っていましたが、味覚についての教育があるということは知らなかったので、それが1番の驚きでした。
 まず、口の中で味を判別するのは「味蕾」という場所で、それは舌全体に7割、上あごやのどに残りの3割があるということでした。私は味を判断するのは舌全体だけだと思っていて、あごやのども味を判断できるということは知りませんでした。私のように考えてる人はほかにもたくさんいると思います。また、味蕾が1番多いのは赤ちゃんで、成人の味蕾の数の2倍ほどの数で、それは自分を守るためだということはとても納得のいくものでした。島村先生はところどころにわかりやすい例えをお話してくださり、ここでも、りかちゃん人形の小さい靴には赤ちゃんが飲み込まないように苦味成分が塗ってある、だとか、他には、「好き嫌いのメカニズム」で、BBQは材料を焼いているだけだけど自然のいっぱいある雰囲気の良いところで食べたりするからおいしく感じられる、など、私たちの考えやすいようなことをお話してくださるのがとてもよかったです。好き嫌いができることに関しては、食べるときの雰囲気が大切であるということが1番印象に残っています。これは今後教師になる私たちの立場として、とても重要な項目だったと思います。子どもたちと給食をたべるとき、嫌いなものを残すことを頭ごなしに怒ったり、無理やり食べさせたりするのは、その子がその食べ物を好きになるどころかますます嫌いになる原因になってしまいます。去年、幼稚園実習にいったとき、年少組の子供たちは好き嫌いがある子がたくさんいて、でも先生は無理やり食べさせたりせず、「今日は少しだけ食べれたね、えらいね」「また今度がんばってみようか」というような声かけをしていて、今日の講義で改めてそのような対応の大切さがわかりました。しかしやはり教師に好き嫌いがあることはいけないと思います。小学2年生のときの担任の先生が人参嫌いで、給食に人参がでると必ず残していたのを今でも覚えています。子供ながらに、先生が残しているからいいやと思っていたと思います。無理やりは食べさせないけど、子どもが自ら「食べよう」と思ってくれるような環境をつくれるように努めたいと思います。
 味覚障害に関しては、その言葉は知っていたものの、知識は何もない状態で、若者に多いことや、1年間に24万人もの人が味覚障害になっていることは、本当に驚きでした。最近ではファストフードに頼る若者が多く、コンビニの数も増えているし、お米よりもパンを好んで食べる若者が増えてきています。濃い味のものを好み、なんでも醤油をかけたり、七味をまるまる1本かけて表面が見えなくなるくらいにする人もいます。そうなると糖尿病や高血圧になる危険性があり、やはりそういう人たちを減らすには、味覚修飾植物を応用していくのが1番だと思います。人工甘味剤だけでなく、上に述べたように、人工的に味を濃くしたり、しょっぱさを増したりさせる味覚修飾植物があれば、味覚障害や、様々な成人病に悩む人々も減るのではないかと思いました。それらの植物の1つであるミラクルフルーツの入ったタブレットやギムネマの葉は、今回初めて口にしましたが、正直なところおいしくありませんでした・・。でも甘かった飴はすっぱくなったり、酸っぱいはずのレモンは甘く感じたり、実際にその効果を感じることができたのでとても勉強になりました。自分で体験したりした授業の内容はそう簡単に忘れません。教師になったとき、なにか機会があれば、味覚障害やミラクルフルーツについてなど紹介したいなと思いました。



Cさん 

 普段の生活の中で、味を感じるしくみはどうなっているのだろうと疑問に思わずに、ただ「おいしい」とか「まずい」としか考えずに食事をしていたが、講義で人間の口には味蕾というものがあり、味蕾によって味が判別されるということを知ってなるほどと感じた。特に、赤ちゃんは食べ物が安全かどうか判断する力が少ないので味蕾の数が多く、大人になるにつれて知識や情報で判断するようになり、味蕾の数が減ってくるというのはおもしろいなと思った。ビールをおいしく感じる「のどごし」は喉にある味蕾が関係しているのも興味深いなと思った。
 また、味蕾は動物によってもいろいろであるということも興味深いなと思った。ハエは手に味蕾があり、飛んでとまった時に、手でエサかどうか判断していることや、蝶も手に味蕾があり、卵を産む葉に毒がないかどうか手で判断しているというのはすごいと思った。ナマズはヒゲと体の表面に味蕾がたくさんあって、目が見えなくても水を通して敵やエサの味を判断していることに驚いた。動物は住む環境や生きていくために体の仕組みに工夫がされていて、うまくできているのだなと感じた。その一方で、人間は生きる環境が他の動物よりも変化してきて、本来持っている体の仕組みに合わない食生活になってきており、食べ過ぎたり、味覚障害になったりしているのは考えなくてはいけない問題だなと思う。
 今回の講義で、ミラクルフルーツとギムネマを初めて食べ、味覚が変わる体験ができたのはすごく勉強になった。特に、ギムネマを食べて味覚障害のような感じになったのは衝撃だった。いくら聞いたり見たりしても、味覚障害の人の気持ちをきちんと理解するのは難しいが、自分で実際に体験してみることで、大変なことだということが分かり、ならないようにしなくてはいけないと感じた。
 また、人がおいしいと感じ、好き嫌いを区別するのにはきちんと理由があって、そこには家族や育ってきた環境や食事をする環境、経験などが関係していることが分かった。高校生になった頃に好き嫌いが少なくなり、最近では、ビールや嫌いだったフキノトウやタラの芽などの山菜がおいしいと思うようになったので、大人になってきたのだなと複雑な気持ちになった。一見理由がないように思えることでも理由があるのでおもしろいなと感じた。
 これから教師を目指していくにあたって食育はしっかりしていかなければならないことだと思う。特に、生活習慣病や味覚障害になる人が多くなった現代では、小さい頃にしっかりした食事の習慣を身につけ、きちんとした味覚の形成をすることが大切だと思う。私が教師になったら、ただ教えるという食育をするのではなく、子ども達が今回の講義のように自分で体験して考えるという授業をしていきたいなと思う。そして、好き嫌いや偏食、寄食になる子ども達が少なくなるようになってほしいなと思う。
 今回の講義は「へぇ〜」と思う話がたくさんあり、先生はすごいなと思った。私も話の引き出しをたくさん持てるように勉強していきたいなと思う。



Dさん 

@講義で感じたこと、分かったこと、興味を持ったこと
 島村先生の講義を聴いて、私が疑問に思っていたことがわかり、またとても楽しい授業でもっとたくさんのことを知りたいと思った。
 私の実家には柿の木があり、1本の木のなかに渋柿と甘柿があり、どうしてかわからなかったけれど、それは木が悪いのではなくて、私の味覚がどう感じたかということであることを知り、びっくりした。それらは渋みの成分がオブラートに包まれている状態で口に取り込まれるので味覚の鍵穴にはまらないものが甘柿。そもそも味として感じるものは水分で溶けたということも初めて知った。
 ギムネマを口の中で噛み、飴をなめると甘さを感じない、チョコレートを食べたら、「カカオ○%」のような味がする、つまり苦い、これは私が今まで感じたことのないこと。人間の味蕾はとても不思議なものだと思った。味覚障害というものは耳にしたことがあったけれど、他人事のように考えていた。しかし私たちの年齢層にも多く、24万人の人が1年間でなっていたら私の周りにいてもおかしくない数字なので、恐ろしいと感じた。
 満腹でも私たち人間とサルは別腹というようにたくさん食べすぎてしまう。食べ過ぎてしまうのはこの2つの生物だけと聴いて、私たちは贅沢だと思った。贅沢であるからこそファストフードなどにたよるのではなく、味覚のことなどを考えた食事をするにはどうしたらよいのだろうか。やはり好き嫌いで本人の意志が必要であるように、結局は消費者である各々が意識をしていかなければいけないとも考えた。
 マクドナルドのようなファストフードの食品はほとんど油できている、というのは食後にのどが渇いたり、胃がもたれたり、ということがあったのでなんとなく予感はしていたが、まさかそこまで油でできているとは思いもしなかった。カロリーの半分くらい油でできている食品を食べて、友達と「おいしいね」と言っていたことが恐ろしい。確かに食事をする雰囲気は友達と食べるから楽しい、ということもおいしいと感じることができた要因のひとつなのかもしれない。また、この講義を聴いて、外食全般的に油でできている料理が多いのではないかと感じた。普段から外食に慣れていないからこそ、時々外食をしたことでおいしいと感じるのかもしれない。もし毎日外食生活の人がいたら、その人の味覚はどうなっているのか考えてしまった。
 パッケージにおいて、「レモン○個分のビタミン」というキャッチフレーズを私はそのまま鵜呑みにしていたことに気づいた。レモンにはクエン酸の方が多く含まれている、なんて知らなかったことはもちろん、レモン1個にはどれくらいのビタミンが含まれているのだろう、なんて考えたことすらなかった。これからはある情報が示しているものは何を意味し、それは私たちにとってどのようなものなのか、というようなことを吟味し、たくさんの情報に振り回されないように心掛ける必要があることを知った。

A味覚修飾植物の今後の展開や味覚について知ることの重要性
 味覚修飾植物の今後の展開については、薄味のものが濃味に感じることができる味覚修飾植物があれば、塩分などを控える、生活習慣病のなかのひとつの助けになるのではないかと思う。その他に、食事制限がかかっている人などに応用する、ということ以外、今のところ考えることができなかった。
 味覚について知ることの重要性としては、教育の中で何かしら手をうっていくことも考える余地があるものだと感じた。私は外食やカップラーメンなどの食品に対してとても抵抗があり、奇食を信じることができない。これは人が育った環境により左右されるものである。好き嫌いや味蕾の形成は幼少期にかかっており、9歳から12歳の頃、ということをもっと多くの人が認識することが必要だと考える。おふくろの味というように、親の料理のおいしさを知ることが必要なだけでなく、一緒に食事をすることでしつけを兼ねることもできる。私の友達でも、中学生のときのお弁当はいつもコンビニ弁当という人がいた。そのような親は仕事やその他の事情で忙しいかもしれないけれども、コンビニ弁当で育った人の、自分の子どもができても負の連鎖で同じことをしてしまうことが考えられる。よって、味覚障害について、また味覚障害を引き起こす原因などは生活習慣によるものだということを児童・生徒だけでなく、彼らの親にも教える必要が出てくるのではないかと思う。

Bその他自分の意見・感想
 私自身、食についてとても興味がある。私の幼少期に、私が野菜(にんじんやピーマンなど)を食べることを嫌がってもそれを強引には食べさせようとはせず、別の調理法をしたり、だましたりして、うまく食べさせたという。それと今回の講義で聴いた、好き嫌いが生まれてしまう理由というものが私の頭の中でリンクして感動した。私は好き嫌いがないので、「どうしておいしいのに食べることができないの?」といつも思ってしまう。食べることが当然という感覚で教育にあたっていたらいけない、柔軟に対応することが必要だということがわかったので、一方的に「食べろ」とするのではなく、環境などに配慮していきたいと考えた。
 先生の講義を聴いて、食に関してますます興味をもった。味蕾がダメになり、味覚障害になってしまった人の舌と正常な人の舌、その他赤ちゃんの舌、など同じ人間であっても専門家は舌の違いがぱっと見て分かるものなのかどうか知りたくなった。舌はざらざらしているが、もし味覚障害になったら舌はどのような状態になるのか、また味覚障害の前兆はどのようなものなのか。私は普段から自分の食生活を気にしているつもりでいたけれど、どうして食生活を気にしているのかを考えなおすきっかけになった。今回、味覚障害の恐ろしさよりも、切なさというものを大きく感じたので、これから気をつけていきたいと思った。また、私が将来教員になることができたら、今さかんに言われている「食育」のなかでも取り入れていけたらいいな、と思った。「食育」と叫ばれている中で、3食きちんと食べましょうとは耳にするが、味覚障害などについてはあまり触れられていないような気がしたからだ。食と味蕾・味覚障害はリンクしていることを強く認識した。
 私が食事をして味を感じることができることを感謝した。またこれからもおいしく食事をしていきたいと思った。



Eさん 

 初めて味覚に関する学習をしたとき、味覚地図が出てきたのでそれが正しいと思い込んでいた。しかし、「食べ物を味わう時に、本当に甘味は舌の先端で感じ取るのだろうか」などと疑問もあったので、島村先生の講義で疑問が解消された。さらに、ギムネマの葉やミラクルフルーツで味覚が変化するのを体験し、味覚の不思議を実感することができた。また、味を感じるセンサーである味蕾は、舌だけではなく、上あごやのどの奥にも存在するということが分かった。このことを自分の経験から考えてみると、小学生の頃、ブドウを食べる時に実を丸のみしておいしいと感じていたことから、のどで味を感じることができていたのだと思う。味覚の変化に関しても、幼い頃、ピーマンは苦くて嫌いだったのに、今ではとても美味しいと思うことから実感できる。講義の内容で、子どもがピーマンを嫌いだという理由に、人にとっての味覚で、苦いものは毒のシグナルであるということがあげられており、子どものころにピーマンが嫌いだったのは仕方のないことだったのかという風にも考えられる。そう考えると、学校の給食の時間に、子どもに嫌いなものを無理やり食べさせようとすることは、子どもにとって非常に苦痛となってしまうだけでなく、その後も嫌いなものとして認識されてしまい、好き嫌いが治らなくなってしまうことも考えられる。好き嫌いのメカニズムの話の中で、キーワードとして、第一印象と雰囲気と環境の3つがあげられていたことを考えてみても、食べ物の好き嫌いは食べ物の味そのものが原因であるほかに、環境要因が加わることがわかる。そういった点で、食事の時間は楽しくあるべきであって、嫌な気持ちになるようなことがないように配慮することが大切である。
 味覚修飾植物の今後の展望として、医療現場における活用などがあり、糖尿病患者に対して、糖分を含まないが、甘く感じるお菓子を提供することで、生活習慣の改善を図ることができるという方法を聞いて、これから需要が高まるものだと思った。しかし、ミラクルフルーツやギムネマは熱帯産の植物で、今はまだ手に入りにくいものであるので、今後低価格で購入することができるようになったら、肥満や糖尿病、生活習慣病など、身近に潜む病気に対して予防や改善として活用していけたらいいと思う。
 教育現場において、小学校の家庭科で味覚について学ぶことは、児童自身の食に対する意識や、自らの体に関する知識を深めることに影響をもたらすとして重要である。また、講義の中で特に印象的だった島村先生の方針で、「全員が試せないのならしない」ということは非常に重要であると感じた。ミラクルフルーツで味覚が変わるということを、聞くのと試すのでは全く違うから、試させたいという気持ちは大事だが、みんなが平等に体験する機会を持てないのならば、みんなしない方がいいということである。だが、ここで島村先生は私たち一人ひとりに試食の機会を作ってくださった。味覚の不思議を体験することができて嬉しかったこの思いを胸に、今度は自分が教師として、子どもにさまざまな体験をさせる機会を設けることができたらいいと思う。



Fさん 

1.講義で感じたこと、わかったこと、興味を持ったこと
 「味を感じる仕組み」の話はとても勉強になった。これまで私は、甘味・塩味・苦味・うま味・酸味はそれぞれ舌の異なる部分で感知していると思っていた。その知識はおそらく、テレビ番組や親から聞いた情報に由来するものである。しかし、この講義で「舌全体で味を感じ取っている」「それぞれの味に鍵と鍵穴の関係がある」と聞き、衝撃を受けた。言われてみれば確かに、甘いものを食べたときに舌のある一部分だけが甘さを感じているようなことはない。第一、甘味は舌のこの部分で感知するから、舌のこの部分に砂糖水を垂らしてみようなどという実験があるとすれば、それはとても難しい実験である。砂糖水を舌の一部に垂らして、口を開けたまま「はい、ではどのように感じたか言ってください」と言われても、そのような状態では、「甘い」という情報は脳に伝わっていきづらいと思うからである。「水に溶けなければ、味はしない」という先生の言葉がその根拠となる。砂糖水を舌に垂らして、口を閉じて、唾液で舌全体・口の中全体にその甘味を行き渡らせ、脳に信号を送る。口を開けて、舌を乾かすような状態では、信号をうまく送ることはできないと思う。
 あるテレビ番組で、鼻にクリップを留めた芸人さんたちがシンクロナイズドスイミングの格好をして、目を閉じ、口に入れられた食べ物が何かを当てる、というコーナーがある。その食べ物が何かを当てることができないと、床が抜けて熱湯の中に落ちる。「鼻が詰まっていると、味を感じることはできない」と先生がおっしゃっていた。そのような知識が番組制作者にあれば、先に述べたような単なる、「いじめ」のようなコーナーはできないはずである。「鼻が詰まっていたら味はわからない」という大前提があるにも関わらず、そのようなゲームをすることは、教育上とてもよくないことだと気がついた。私たちの味覚はとてもデリケートなもので、また、とても高度な感覚なのだと改めて感じることが出来た。

2.味覚修飾植物の今後の展開や味覚について知ることの重要性
 ミラクルフルーツやギムネマは、肥満の子どもたちの治療にとても効果があるのではないか。私の弟は小さい頃、肥満体形で、幼稚園の先生や親を悩ませた。とにかくたくさん食べるのである。日本ではあまり太りすぎた子供を見かけることはないが、アメリカに行った時はすごかった。小学生なのに、腹周りは成人並みなのだ。彼らの食生活を知れば、その体型になるのもうなずける。朝は歩きながら甘いチョコレートバーをかじり、昼はブルーベリージャムたっぷりのパンと脂肪分たっぷりのハンバーガー、夜はマッシュポテトと牛肉。もちろん、ベジタリアンの人も多くいたが、あるクラスのほとんどの生徒がそのような食事をしていると答えた。
 もし、ギムネマをミラクルフルーツのようなタブレットにすることができれば、甘いものや間食が好きで、肥満傾向にある子どもの食習慣改善にとても役立つと思う。カロリーを抑えた食事をおいしくするのにはミラクルフルーツが役立つ。子どもの頃にきちんとした味覚が形成されないと、奇食に走る可能性もあると先生がおっしゃっていたので、その点は十分に考慮しなければならない。その子の体型に見合った分の食事を摂取させるための手助けとして、味覚修飾植物をうまく活用できると思う。
 また、味覚は私たちの命に直接的に関わる感覚である。苦味を感じるから毒性のあるものを吐き出し、酸味を感じるから腐敗したものは食べない。おいしい・おいしくないという価値判断を根拠づけるという意味でも味覚は重要だが、それ以前に「生きていくために味覚は欠かせない」ということを知る必要がある。嗅覚・触覚・聴覚・視覚に比べると、味覚は主に食事の際にしか使われないので、その有難さに気がつきにくいが、味覚について知ることによって、食べることの重要性のみならず、「生きている」ということを実感できるのである。

3.その他自分の意見・感想
 5月19日付の朝日新聞朝刊に、味覚障害についての記事があった。10代・20代の若い人に多く、摂取している薬による影響もあるそうだ。その記事には、講義で島村先生がおっしゃったことと全く同じことが書かれていた。
 この講義を聴くまで、味覚障害は自分とはまったく関係のないものだと思っていた。しかし、亜鉛が不足するというちょっとしたことで味覚障害が引き起こされるということには驚いた。日本の伝統的な食材や調理法はすばらしいと、改めて実感することができた。海外の食事を見てみると、アメリカなどは脂っこいものが多く、加工食品やファストフードはほとんど主食のようになっている。「どうしてこれがおいしいの?」と、アメリカにいた時は疑問符の連続だった。「うまみ」という日本語が日本語の音のまま海外に伝わって、そのまま使われるようになったのは、「うまみ」という味覚を英語で訳すことが難しかっただけではなく、そのような味覚を海外の人が理解するのが難しかったからではないのだろうか。コンソメやブイヨンとは違った、食材本来の「うまみ」を大切にする日本の食文化を、もっと大切にしていかなければいけないと強く感じた。



Gさん 

 今日の講義で学んだことの中で一番覚えていることは、「人にとって味覚」についてのところです。赤ちゃんの味覚はなぜ多いのか、それは自分の身を守るためで苦味・渋味は赤ちゃんにとっては大人以上に害のあるものとして感じるように出来ていると聞いたときと、それと関連して、だからリカちゃん人形の靴は幼児が飲み込んでもすぐ吐き出せるよう苦い味がすると聞いた時はなるほどと思うと同時に、自分もこういう授業がしたいと思いました。テーマは「味覚」であるのに内容は人間の命の問題という深いところまでを含んでいました。「人間は飽食の時代を想定していたわけではなく、むしろ飢えの中でどう生き残るかを考えていた」という言葉も興味深かったです。長い人間の食の営みを学ぶことによって今自分たちが何をしなければならないのだろう、どんなことに意識を向けるといいのだろうという指標を示してくれた講義にもなりました。またライオンやコアラやヘビにとっての味覚の話もとても面白かったです。自分の食生活を見直すきっかけを与えるとともにほかの命に対する意識も芽生えたと感じました。
 講義のキモの部分ともなったミラクルフルーツとギムネマという味覚修飾物質は今回初めて実際に触りました。ミラクルフルーツは名前だけ聞いたことがありましたが、あれほど味覚を麻痺させるものであることに驚きました。しかし麻痺とは言ったものの、味はあるのだけれど脳に信号が伝えられないから感じないというのが正しいと思います。今日の講義の内容の重要性がどこにあるかということを考えると、医療面が挙げられると思います。先生がおっしゃっていたように糖尿病の患者の治療に役立てたり、糖分を摂取しすぎたりするのを抑えるために用いることに応用できます。また特定の味覚を刺激することによってその不足分を補うということも可能なのではないかと疑問に思いました。「引き」ができるなら「足し」もできると自分は考えました。しかし、それらは結局正常な味覚に変化を与える結果になります。持続時間が解明されていても人間の本来の力だけで治せないというのが少し残念です。しかし先生も主張されていた通り、ミラクルフルーツのタブレットはおいしくしようとすればいくらでもできるけれど自然の状態で摂取してもらうのが一番いいということ、人間にとって便利に応用しようとすることは大事であると思います。
 人間の食と生が大前提にあるということを忘れてはいけないなと思いました。
 全体を通して自分が感じたことは、人間は食べることが好きで、だから味覚も発達しているしそれにともなって食べてはいけないものを自分で気づけるように進化した動物である、ということでした。それはあの場にいたみんながミラクルフルーツを興味津々に食べたことからもわかります。しかし、現代は食べ物が食べやすく噛みやすいものばかりであると同時に親によって用意される食事で空腹を満たしています。ということは本来人間が味覚を身につけてきた過程とは現代人のそれは異なっているということです。そのことに気づくということが大事であり、それをわかりやすく興味が持てるように人間をはじめいろいろな動物を例にとり味覚の学習を通して考えることができました。いつか自分もミラクルフルーツを子どもたちに紹介したいです。ありがとうございました。



Hさん 

 とても充実した授業でした。講義の中身だけでなく、先生の言葉遣いや声の抑揚、表情など、とても勉強になりました。2週間後に観察実習、9月には本実習を控えているので、どのような話し方で児童の興味・関心を高めるのか問題意識を持たせてもらいました。
 さて、講義の中で一番印象に残ったことですが、それは、肉食動物は草食動物の内臓、腸を食べビタミンを摂取しているということです。
 私は先日、人間のほとんどは水分でできているが、水分を除くと6割がたんぱく質でできている、ということを知りました。驚いたのは、内臓や血管だけでなく爪や髪の毛までたんぱく質でできていることです。なので、たんぱく質が足りていない人は髪の毛がパサパサしたり、爪が割れやすくなったりしてしまうそうです。
 そこで私はたんぱく質を食べなければ!という気持ちと、同時に草食動物はどうやってたんぱく質を摂取しているのだろう、という疑問が生まれました。そのヒントが先に述べた、肉食動物は草食動物の腸を食べる、ことにあると思いました。
 そして私は単純に、草食動物はたんぱく質の多い植物(大豆)などを食べているのだと考えました。しかし、キリンが大豆を食べているとはなかなか思えず、調べてみました。すると、草食動物は体内で必須アミノ酸を作り出せることが分かりました。
 草を食べ、肉を食べる人間。
 草を食べないから、草を食べる草食動物を食べる肉食動物。
 肉を食べないから、肉の成分を体内で作り出す草食動物。
 きっと、周りからしたら当然のことですが、私はよく知りませんでした。先生の講義を受けなかったら、自分の疑問を解決しようとせず、疑問のままで終わらせていたと思います。私の疑問は誰のものでもなく、私のもので、それを解決させるのも私次第だということを知りました。
 このようなことに気づかせてくれた、先生にとても感謝したいです。素敵な講義、ありがとうございました。



Iさん 

1.講義で感じたこと、分かったこと、興味をもったこと
 水に溶けたものの味を感じる。だから甘柿と渋柿がある。考えたこともなかった。大人になると舌が鈍ってきて、苦手だった食べ物が食べられるようになると聞いたことがあったが、舌が鈍っているとは一概にはいえないようだ。赤ちゃんの味蕾の数は約12,000個、成人は6,000〜9,000個と減ってはいるが、大人になるにつれ、視覚の働きや経験によって味蕾以外の機能が発達するので味蕾は減るのだと分かった。
 味覚について学ぶとき、人間の動物らしさと人間の動物と違うところを強く意識した。動物は生きていく上で役立つものがおいしい、太って逃げ足が遅くなるから自分の必要以上は食べない、ライオンは自分で草を食べられないから獲物の腸の野菜ジュースを一番に食べる…とても興味深かった。
 一方の人間は動物と同じで生理的欲求に基づくおいしさはもちろんだが、文化、情報、薬理学的な部分でおいしさ感じている。ステーキ屋の演出、人間しか並んで待って食事をしないと思うととてもおもしろい。
 人間はまさに発達させた五感を使って食事をしていた。五感というと何とも野性的な感じだが、飢えを防いで生き延びるための動物の食事とは違い、人間の作り上げた飽食の時代に人間は動物らしさを失って病や肥満と闘っている。もっと五感を働かせて、動物のように生理的な欲求で自分をコントロールして食事をするのか、人間生活は改善されないまま病に負けていくのだろうか。欲求を超え、人間の意志で、自分をコントロールしていくというのは人間だからこそ行えることだが、とても難しいことだと思った。「食べる」という行為は人間にとって最も基本的な行為なのに、指導が必要であるとは大変だなと思う。

2.味覚修飾植物の今後の展開や味覚について知ることの重要性
 ギムネマを食べた時の悲しさは忘れられない。風邪でご飯の味がわからないとき、舌を軽く火傷して味が感じられないとき…味がわからないということはとても悲しいことである。味がわかる、おいしいものを食べるということは生命維持の意味でも大切であるし、何より一日の楽しみだ。
 食事は一生続く行為で、誰もが毎日繰り返す行為だが、一番かけたくないのが食費であったり、食事の時間であったりもする。コンビニやファストフードはだんだんと飽きてくるけれども、それを食べるしかない。いつの間にか味覚障害に陥ってしまうかもしれない。加工食品、コンビニ、ファストフードに慣れて舌が壊れてしまうのではなく、亜鉛の不足で味細胞が作れないということはとても重要だと思う。
 味覚修飾植物はアフリカやインドで昔から用いられていたと聞いて驚いた。その土地で、その風土に合わせて用いられてきたのであるから、日本も日本に合った植物が利用できたらと思う。また、日本は日本人に合った食事をすることが大切だと思う。

3.その他、自分の意見・感想
 ミラクルフルーツは小学生の時に読んだ、小学生雑誌で紹介されていたことが今でも印象に残っている、ずっと気になっていた植物だった。小学生の記憶が鮮明にあるということは、やはり「味」に関する興味はとても深いものであるということだろうか。日本ではグルメ番組、料理番組が多いと留学生が感想を漏らしていた。またクイズ番組でも正解するとおいしいものを食べられる。「味」はだれもが興味を示す。今回の講義は「味」の奥深さを感じた。
 特に動物と人ということをすごく考えたし、人にとってのおいしさを考えた。
 文化的に合致したおいしさでは「うま味」の成分は世界共通ということでも、その人の持っている文化によって感じ方は様々になる。これは国際理解においてとても大切なことだと思う。私たちがおいしいと思っているお寿司は確かに「うま味」成分はあるけれど、文化背景の違う生魚を食べない人々には受け入れられない味だろう。だから、私たちも私たちの尺度だけで他国の味を評価してはいけない。好き嫌いのメカニズムにあった雰囲気、経験というのはすごく大切だと思う。その国でお祝いで食べるごちそうならば、やはりおいしいのだろう。味についての仕組みを正しく理解することで、お互いを認めて受け入れやすくなるだろう。すべの人にとっておいしい、まずいは存在しないのである。それぞれのおいしいがあって当然なのである。
 ステーキ屋の演出には思わず納得してしまった。ご当地名物はあの雰囲気で食べるからおいしい。味を知らないからこれがおいしさなのだと思い込むこともできる。高いからおしいと思い込むこともできる。情報に基づくおいしさなのだ。ここがまた、人間らしい。
 子どもは単純な味が好き、大人は複雑な味が好き…しかし複雑な味は家庭にあるのだろうか。大人だと家の味で満足できないようになってしまうのだろうか。人間は動物と違って社会に縛られているともいえる。企業の戦略、お金で食べ物を考えている。一人での食事となるとコンビニ、ファストフードは便利だ。忙しくてサプリメントで栄養だけとっている人もいるかもしれない。サプリメントではお腹は満たされない。サプリメントが必要な食事というのも悲しいと思う。五感を使わないサプリメントはなぜに流行したのだろう。私たちの食生活は個人個人の活動でありながら、社会的な影響がとても大きい。
 小学校では○○と○○を混ぜると○○の味になる…ということがとても流行った。「味」は小さなころからずっと興味の対象である。もっと興味、関心を持って楽しい「食」、「味」を毎日実行していきたい。



Jさん 

 今回、テレビ等のメディアで見るたび不思議に感じていたミラクルフルーツの体験ができると聞き、とても楽しみにしていました。ミラクルフルーツとギムネマを使った体験はもちろん不思議でおもしろいものでした。しかし、講義の方が私にとって魅力的なものでした。
 まず、大人よりも赤ちゃんの方が味蕾が多く、味に敏感であるということに驚きました。離乳食は味が薄く、大人にとっておいしくないと感じるものが多いと聞きます。そのため、赤ちゃんは味覚が発達しておらず鈍感なのかな?と思っていました。味蕾が多いということは食材本来の味をしっかりと感じることができるということなので、赤ちゃんの頃からいろいろな食材を食べさせることが重要であると感じました。ハエや蝶は手に味蕾があると初めて知ったのですが、人間は口にしか味蕾がないので想像ができず、とても不思議な感じがしました。
 次に興味を持ったのは好き嫌いのメカニズムについてです。自分の好き嫌いがどうして起こったのか、なぜ治ったのか当てはまる項目がいくつもあり、自分が子育てをする時の参考にしようと思いました。自分自身牛乳嫌いだけが治っていないのですが、嫌いになった理由が今回挙げられていたものに当てはまりませんでした。これから実習があり、給食では毎日牛乳が出るので牛乳に対する意識改革ができるよう頑張りたいです。
 3つめに人にとってのおいしさとは何なのかということに興味を持ちました。五感のすべてを使っておいしさを感じることができるよう工夫されていたり、疲れているときに甘いものが食べたくなったりするのにもきちんとした理由があったということに驚きました。行列のできているお店とそうでないお店があれば行列のできているお店の方に並んでいましたし、レモンにはビタミンCが多く含まれていると勘違いしていたのでレモン〜個分のビタミンCと書かれているものを何の疑いもなく購入していました。ファストフードやポテトチップスが体に良くないと知っていながらが無性に食べたくなる時もあります。大好きなテリヤキバーガーの脂分が50%を超えているということを初めて知りました。無知であることがどれだけ危険なことかが分かり、恐怖を感じました。
 今回の講義は食育、味覚教育の重要性について考えさせられる講義であったと思います。ミラクルフルーツよりもギムネマの方が私にとって衝撃だったのですが、ギムネマを噛んだあとミルクキャラメルを食べると人工的な味がして、どれだけ私たちが食べているものに食品添加物が含まれているのかということを、身をもって感じることができました。
 私たちは食べなければ生きていくことができませんが、食べることで体を危険にしている場合もあるのだと思うと本当に怖くなりました。それはこの講義があったからこそ気づけたと思います。実際に体験することで机上の勉強のみでは気付けないことに気付き、普段の生活を考えなおすきっかけになるのだと感じました。そのことを生かして今後は児童、生徒の心に残る授業づくりをしたいと思います。



Kさん 

 五体満足に生まれた者にとって、五感の働きはとても当たり前のものです。その中でも特に「見る」、「聞く」、「触る」の3つの感覚は、生活する中で人間が主として頼ってしまう感覚であり、その働きについてはメディアなどを通じてよく周知されています。一方、「嗅ぐ」、「味わう」の2つの感覚についてはどうでしょう。確かに香りを嗅ぎ、味わうことは人間が好む行為の上位には挙げられますが、前者の3つの感覚に比べると、これら2つの感覚の働きやその重要性については、特に取り上げられることが少ないように思います。
 そういったところにおいて、今回の島村光治先生による味覚教育の講義を受講できたことは大変貴重でした。端的に言えば、「味覚」という感覚の働きについて知り、「味覚」に対して、また味覚を媒介として「食」に対して「危機意識」がもてたところに、私はとても意義を感じました。
 私の記憶では、生活習慣の乱れによる疾患(生活習慣病など)がメディアに危機的に扱われ始めた頃から「食育」に力を入れようとする学校が増えてきたように思います。代表的な内容としては、個食、孤食や、朝食抜きの問題、栄養バランスについて等が主に教える項目として踏まえられていました。しかし、ほぼ同じような項目を何回も何回も知識としてよくよく教えられ、頭では分かっているようなのですが、どうしても食や味覚に対する危機意識が生まれにくく、実際の生活の場に反映されずに終わってしまっていたのがこれまでの食育の現状だったではないかと思います。
 私達は自分自身が実感したものを気に留めます。ですから、食に関してでも、太った、太らないというからだの変化をはっきりと自分自身のからだで感じることのできるダイエットの情報は幅広くはびこっており、実践を重ねている者も多くいます。
 しかし、栄養や味について、ダイエットのような一時的な体の変化ではなく、長いスパンで自分のからだの健康を考え注意をする者は、若者の世代には特に少ないように思います。つまり、食や味覚についての危機的な意識が低く、長期的に注意をしようとする者が若者には少ないのです。なぜ若者は食や味覚に対する危機意識が低いのでしょう。その理由は、若者と年配者とを比べた時に、「年配者」の方が明らかに栄養や味に対する意識・関心が高いというところに隠されているのではないかと私は考えました。
 では、現代の若者と年配者とでは何が違うのでしょうか。そこで1つ考えられたのは、若者の「食」や「味覚」に関する危機的な状況の体験不足です。まず、飽食の時代である現代では食べ物に困るというようなことが滅多にありません。お店に数多く用意されている陳列棚から好きな食べ物を選ぶことができます。また、既に加工されている食品で言えば、自分の好みにあった味付けの食べ物を選ぶことができます。一方で、年配者、特に高齢者は、戦争による食糧不足を経験しています。だからこうだというのは、少し強引なところもあるかもしれませんが、食に関して、できるだけ栄養のあるものを、満腹感の得られるものをといった具合に、情報を持ち寄りながら厳選して食べ物を選ぶことができます。「量」がない経験から「質」への意識が高いのだと思います。大量生産の技術が進む食品産業の「質より量」の時代を幼い頃から経験している現代の若者は、そういった危機的状況の体験が少ないという点で、年配者よりは食や味覚に対する注意力が乏しいのではないかと考えます。
 また、歴史的な背景ではなく、もっと単純に、自分の味覚が変化することをどれだけ体験しているかということも、食や味覚の危機意識の高さに関係していると思います。これは、今回の講義を受け、特に強く感じたことの一つでもあります。ミラクルフルーツやギムネマの味覚実験にしろ、子どもの時に嫌いだったものが、大人になって好きになったという体験にしろ、「自分の味覚は絶対的なものではない」ということや、「何かしらの原因があって自分の味覚が変化することがある」ということ、また、「味覚も騙されることがある」ということなどを感じられる体験は、味覚や食といった私達にとって当たり前のものを気に留めて考え直して大きなきっかけとなると思います。例えば、授業で紹介されていた内容では、好き嫌いが情報によって左右されることがあるということや、味覚が味覚修飾物質によって味覚が比較的容易に変えられてしまうことなどを実感しながら知ると、そこで食や味覚に対する不信感が生まれます。また味覚障害を疑似体験すると、私達が普段どれだけ味覚という感覚に頼って生活しているかを知ります。このように、自分自身の選択によって自分の感覚、からだが左右されているという実感こそ、食や味覚の危機意識につながるのだと思うのです。
 体験からそういった危機意識が芽生えさえすれば、私達は自然と「食」の現実や、「味覚」という感覚の働きに関心を持ち、自分の感覚をもう少し上手にコントロールしながら生活することができたり、「食」、「味覚」についての落とし穴を知り、生活習慣病や味覚障害等の疾患を未然に防ぐことができたりするのではないかと思います。実際、今日の食育では体験的な授業が徐々に増えてきています。例えば、今回のような味覚修飾物質を使った味覚に直接働きかける体験や、空腹体験、食紅や香料、砂糖等を使った清涼飲料水づくりの体験等です。このような体験は、直接そのまま生活に活かせるものではありませんが、普段「当たり前」に感じていることに対して、気づきや疑問を生み、再度考え直すきっかけを与えてくれます。
 「人間の味覚は情報に左右されているところが大きい」からこそ、食、味覚の実際を体験するような食育のかたちはとても大切だと思います。私もこの講義で体験したことをきっかけとして、もう少し情報の裏に隠された「食」の現実を見つめ、おいしく楽しく食べることができる「味覚」を大切にしていきたいと思います。そして、そのような危機意識がもてる、関心がもてる体験を子どもたちも経験できるような授業を構成できるだけの学習をこれからもしていきたいと思います。



Lさん 

 島村先生の講義で、私が勘違いをしてきたものがたくさん明らかになりました。特に味覚地図の話は衝撃でした。テレビで味覚地図のことを知っていたので、今まで自慢げに他の人に話していました。もっと早めに勘違いをしていたことに気が付いていれば被害者が少なくて済んだのに、と悔やまれます。また、粉薬の苦みが嫌で、「舌に触れないように飲み込もう!」という発見をしていつも実践してきましたが、軟口蓋、喉頭蓋でも味を感じると知り、これも無駄な努力でした。味蕾については、最初のギムネマ体験と、その後の講義でなるほど、と納得しました。鍵と鍵穴の表現がとてもわかりやすかったです。他に、飼い犬に餌をあげるときに「今日はいいお肉だよ」など言ったときがありましたが、今回の講義で人間にとっての味覚と動物にとっての味覚はちがうということを知ることができました。今回学んだことを家族に教えたいと思いました。
 いつもテレビで、カロリーオフのケーキのためにミラクルフルーツを食べている人々を見て、いつか私も食べてみたいと強く願っていたのでとてもうれしく、貴重な体験をすることができました。タブレットが手ごろなものになったらぜひまた試してみたいです。島村先生の講義を聞いてから、味覚についての特集に注目するようになりました。最近では5月24日の早朝に放送していた番組で、「歯磨きをしたあとにみかんを食べるとどうしてまずいのか」というものがありました。実際、私もそう感じていたし、島村先生の講義のあとだったのですごく興味がわきました。こうやって味覚に対して好奇心をもつ人が増えていくのだなと思いました。島村先生の講義はそれほど魅力的なものでした。
 私は好き嫌いがとても多いです。講義で得た知識をもとにしてよくよく考えてみると、骨が喉にひっかかって痛かったり、くさかったり、なんとなく見た目が気持ち悪かったりなどくだらない原因ばかりであることに気付きました。私たち人間は動物とちがい、おいしいものを食べたいという欲求があるため、好き嫌いのものはなかなか食べようとしません。いくら栄養があると言われても、まずいという意識が先行してしまいます。特に、子どもはそれが顕著であるように思います。そうするとやはり嫌いなものに多く含まれている栄養分が足りなくなり、体に異常が起きます。小さいころから、食材へのイメージ(特によく嫌われてしまうもの)をプラスにもっていくことに重きをおくべきであると感じました。講義でお話しされたとおり、食卓のムードを良いものにしたり、調理法を考えたりと大人が少し工夫をするだけで、子どもの好き嫌いをすくなくすることができると思いました。私は魚介類、海藻類が大嫌いでどうしても口に入れたくなかったのですが、最近少しずつ挑戦しています。亜鉛が欠乏すると味覚障害になる危険性があると講義中に知ったからです。サプリメントという手もありますが、せっかく新潟在住で、魚をおいしいと感じてみたいので食べられるようになりたいです。
 レポートというより、実体験が多く含まれていますが、感動を伝えたくて乱文になってしまいました。これからも色々なメディアで拝見したり、お話を聞いたりするのを楽しみにしております。ありがとうございました。




■C・Dクラス

Aさん 

 私は今回の味覚教育を体験して、様々なことに大きな衝撃を受けました。先生の講義では、90分のあいだ常に「そうなのか!」「なるほど!」と驚いていました。自分の身近なものを何気なく食べたり飲んだりしているときの味覚について、実はいろいろと知らないことがあったということを感じました。とくに、人間の味蕾は、赤ちゃんが危険を察知するため一番多く、大人になるにつれて少なくなるため、苦いものが食べられるようになるということを知り、人間の味覚は一生の間に変化するのだと驚きました。
 また、好き嫌いのメカニズムを知り、子どもの頃の味覚の形成が重要であり、将来の好き嫌いなどに影響するため、味覚教育は本当に大切なのだと実感しました。
 近年、食の欧米化が肥満などを引き起こしている、と聞きますが、味覚障害においても、日本食が必要とされているということを知り、改めて日本食の素晴らしさを実感しました。
 授業のときに、ギムネマの葉を食べただけで自分の味覚が変わってしまったことにとても驚きました。これだけで自分の味覚が変わるということが、おもしろいと思うとともに、怖いとも思いました。実際に自分で食べたことによって、味と味蕾は鍵(味)と鍵穴(味蕾)のような関係だということが実感できました。実際にそのような知識を学んだ後に、ギムネマやミラクルフルーツを口にしてみると、舌のどこで味を感じているのか、気にするようになり、実際に舌の味を感じる機能の存在を感じるようになってきた気がしました。それと同時に、幼いころに習った味覚地図が間違いだということも体験から知ることができて、さらに驚きました。
 これらの味覚修飾植物が、糖尿病患者や肥満の人の生活習慣の改善のために、医療現場での活用が期待されるということが、今後の展望として述べられていました。確かに、このような応用法は画期的だと思いましたが、糖尿病患者や肥満の人が少なく、社会的ニーズが少なかった時代には、これらの植物は大きく取り上げられなかったのだろうかと疑問に思いました。
 先生の授業は、みんなが体験できる講義にすることによって、一部の人のみでなく、全員が講義に参加しやすかったと思います。小学校でこのような授業をすることができたら、子どもたちも学ぶことが楽しいと思えるのだと思いました。自分も、先生のように人をずっとひきつけるような授業をしたいと思いました。子どもたちが先生の授業を聞き入っている姿が見たいです。



Bさん 

 今回、味覚教育の講義を聴かせていただきました。味覚についての授業というものは今まで一度も受けたことがなかったので、とても興味深い講義内容でした。そして、自分自身すごく勉強になりました。味覚は、五感の内の一つです。味覚は、毎日の食事で必ず使っている感覚であり、すごく身近な感覚です。そのため、私は味がしなくなるということを今まで考えたことがありませんでした。私は、講義の中でギムネマの葉を食べて味覚がなくなるという疑似体験をして、本当に衝撃を受けました。飴をなめて味が全くしない自分の状態にすごく恐怖と不安を感じました。本当に、初めてのすごい体験でした。私達のほとんどは、何か食べ物を食べると味を感じますが、味覚障害の人は食べ物を食べても味がわからないということを、疑似体験を通してよくわかりました。食べ物の味を味わえる喜びを実感し、また、その逆の味を味わえない辛さもどかしさも実感しました。
 また、講義では味を感じる仕組みについても学びました。その中で、私は驚いたことがあります。それは、味覚地図が間違いだということです。私は今まで、味覚の苦い・甘味・酸味などは舌の決まった場所で刺激を感じると思っていました。しかし、それが間違いであることがわかりました。味の判別方法は、鍵と鍵穴の関係であり、舌全体で味を感じていることがわかりました。また、味は舌以外にも上あごや喉でも感じることができることがわかりました。このようなことが学べてよかったです。自分の身体の仕組みをしっかり正しく知っておくことは大事だと思います。そして、それを教師になって教えられたらいいなと思いました。
 授業の最後に、ミラクルフルーツを食べてからレモンを食べると酸っぱさを感じず甘くなるという体験をしました。舌にいたずらをしたとはいえ、ミラクルフルーツを食べただけでレモンが甘くなったことは、かなりの驚きでした。私は、その体験をしてすごく不思議な気持ちになりました。また、レモン以外の他の酸っぱい食べ物でもやってみたいと思いました。講義の中で、ミラクルフルーツは糖尿病患者の生活習慣の改善に使用されていると聞きました。このように、もっと味覚修飾植物の活躍の幅を広げていってほしいです。しかし、このような植物は、日本では育てにくいというのが残念なところです。
 私達は、日常で味覚を使っているのにもかかわらず、味覚についての知識はかなり少ないと思います。味覚教育というものを学校の教育でもっとやっていくべきだとこの講義を受けて思いました。今回の講義のように、体験を通して学んでいくというやり方はとてもいいと思います。自分の身体のことを自分の身体を使って知ることは何よりの体験になります。その体験が味覚教育の興味・関心に繋がると思います。私自身も良い体験ができたと感じています。もっと多くの人に、この体験をして味覚について知ってもらいたいなと思いました。貴重な体験をどうもありがとうございました。



Cさん 

 味覚教育の講義で一番印象に残ったことは、味蕾は舌だけではなく、喉頭蓋や咽頭など様々な場所に存在するということである。人は味わうという行為は口全体で行っているのだなと感心してしまった。その一方で味覚修飾物質によっていとも容易く人の味覚は惑わされてしまうわけであるから不思議な話である。実際、ミラクルフルーツのタブレットをなめたあとのオレンジは確かに酸味が甘味に変わっていた。しかし全体的に甘いだけで何となく1本調子の食べ物に代わってしまっていて正直に言えば美味しくはなかった。色々な味覚が複合的に複雑に合わさってこそ人は本当に美味しいと感じるのかもしれない。
 平成17年6月10日に食育基本法が成立した。第1章総則の第1条には豊かな人間性をはぐくむための食育を推進することが緊要な課題となっている、と記述された箇所がある。食べること、味わうことは豊かな人間性を育む上で欠かせないファクターになって来ているのである。と同時に現代の食があまりに空虚であることの裏返しでもあるのではないか。
 「ふだん何を食べているのか教えてごらん、どんな人だか当ててみせよう」―この言葉はプリア=サヴァン『美味礼賛』での一節である。ブリア=サヴァランは18世紀の法律家であるが当時からも食生活が人格に多大な影響を与えているという認識があった根拠にはならないだろうか。産業構造の変化により共働きや片親の家庭の増加、勤務時間の変化など昔のように母親が手間を掛けて料理を作ったり、家族が揃って食事をするという場面は確実に減ってきていると思われる。そのような家庭で危惧されることは3食手料理が無かったり、家族がバラバラなので好き勝手に食べてくるという点である。1人暮らしをしている大学生にまず浮上する問題は食事ではないだろうか。まず料理をするのに手間が掛ることに嫌気がさし、1人で食事する寂しさに涙を流す。3食取るのが面倒だったりすると1食抜いてしまったり、偏食に陥ったりする。偏食は味覚障害を引き起こす点からも問題を孕む。そもそも料理というのは美味しく食べてくれる人がいるからこそ毎日することが出来るというのは母の弁である。家族が揃わない食事は寂しい。毎日独りで食べるのは大学生でもつまらないのである。年端もない子どもたちでは尚更であろう。講義の中でもう1つ印象に残った点、それは食事は楽しくとるからこそ美味しく感じるという点である。幼い子たちが常時、貧しい食文化に晒されているならばやはり貧しい人間性しか持つことができないのではないだろうか。
 味覚は惑われるという点で思い出されるのは偽造食品の存在である。日本でも食文化を根底から履が得かねないとして近年、取り沙汰されているがすでに身の周りに溢れているという。その代表格が寿司のネタである。今や主要国の1人当たりの水産物消費量推移は右肩上がりであり、過去40年間で韓国は4倍、中国は5倍に増えて、米国も5割増し、EUも3割に増えており、日本に輸入される水産物のシュアは12年で半減している。そのしわ寄せは回転寿司など低価格で提供せざるをえない業界に確実に来ている。例えばネギトロ巻きはマグロ赤身にアカマンボウを混ぜて調味料と油脂を加えて出来ているという。見た目も食感も味覚も似ているので錯覚しやすいという。この他にも需要が無かった深海魚や淡水魚が代用魚として偽装されて回転寿司のネタとして提供されている。人の味覚というのは余りに不確かであるという代表例である。日本の伝統食である寿司がこの状態では食育もままならない。もっとも水産資源の枯渇に対して無関心、知識不足といったことが今の状況を引き起こしているとも言えるのである。
 人によって味覚というのは重要であるにも関わらず、不確かなものいう矛盾。それをついた味覚修飾物質を用いた講義は大変に興味深かった。糖尿病患者への治療の手助けには勿論、さらに開発が進めば苦味を甘みに変えて野菜嫌いな子ども向けの商品ができたりするのかと好奇心をくすぐられた。しかし食を取り巻く環境はあまり芳しいものではない。ひいては食育にも暗い影を落としかねない。原点にもどって味わうとは何なのか、美味しいと感じながら食べるためにはどうしたらよいのかを深く考える時期に来ているのかもしれない。



Dさん 

1.講義で感じたこと・分かったこと・興味を持ったこと
 今回講義を受けて一番衝撃的だったことは、「生きていく上で役に立つものがおいしい」のだということ。ライオンの食べ方はとくに知らなかったし、食べる量も獲物をとるのに役立つ分だけ、ということはなるほど!と思った。
 おいしいということは何なのかについて真剣に考えたのは今回が初めてで、「今日はあれが食べたい」「最近野菜食べてないから食べておくか」というように、大学に入学してからの食生活はひどいものだったように思う。野菜を食べる際、自分でスーパーで買ってきた野菜でサラダを作るのではなく、コンビニで弁当を買うついでにサラダも買う、というような感じだった。しかし、コンビニのサラダはあまりおいしいとは感じないのだ。「体内で欠乏した栄養素はおいしい」はずなのに。これはどうしてだろうと考えてみた。コンビニや飲食店のサラダはあまりおいしいと感じないが、実家で食べる、家の畑でつくった野菜のサラダはおいしいことに気づいた。このことから、いくら「野菜」というジャンルのものを食べたとしても、体は栄養に反応しているため、そのものが持つべき栄養素をもった「野菜」を食べることが重要なのではないかと思う。これからは、情報や見た目に惑わされることなく、自分で見極めた栄養が取れる、しっかりと味蕾を刺激する食べ物を選んで食べるようにしたい。
 他に、子供の味覚にはとても興味がわいた。赤ちゃんの味蕾は成人の2〜3倍あることや、おふくろの味は親がおいしそうに食べている顔を見て出来上がることは本当に面白かった。触覚、嗅覚、視覚が成人ほど働かないのだから舌を敏感に働かせなければならないことが、言葉がない赤ちゃんにとって、体に必要なものを感じる重要な手立てになるのだと感じた。また、おふくろの味に関して、親の食生活が子供の食育に大きな影響を与えるのだということも感じた。体に悪いものをおいしいと感じさせない責任を、親が持っているのだと気づいた。

2.味覚修飾植物の今後の展開や味覚について知ることの重要性
 味覚修飾植物の今後としては、もっと多くのものが見つかって、それを利用することで、オブラート的な役割、つまり必要な栄養素を点滴というような血管にいれる形ではなく、口からしっかりと摂取できるようになるのではないかと思う。しかし、これは私が勝手に思うことだが、味をどう感じるように変化しようが体に対する作用に変化があるわけではないので、そのものが持つ味を自然な舌で感じて、その作用を体で感じるのが一番大切なのではないかと思う。
 味覚を知ることは、偏った栄養バランスで食事し続けない、ということにおいて重要性をもっていると思う。「体に悪いけどおいしい」と感じているのならばまだ良いが、体に必要ない栄養素ばかり摂っていることにも気付かないようにするために、味覚についての認識を高めなければならないと思う。

3.その他自分の意見・感想
 私は辛いものがとても好きだったのだが、それは辛い味が好きだったのではなく、痛い?という神経に伝わる感覚が好きだったのだと気づいたときにびっくりした。辛いのは味覚ではないことは、激辛料理を食べた後、その食べ物が通過するすべての場所がヒリヒリするように痛むことから分かった。
 食べてすぐ何かが変わるのは食材ではなく薬剤だ、という言葉も衝撃的だった。確かにそうだと思ったので、今回の授業を受けてからは口に入れるものには注意を払っていきたいと強く感じた。



Eさん 

 島村先生の講義を受けさせていただき、ほとんどないに等しかった味覚についての知識を増やすことができました。味を判別する味蕾の存在は知っていましたが、動物によってその数が異なることや、同じヒトにおいても乳幼児と成人では数に大きな差があることなど驚かされることばかりでした。
 私は特別、好き嫌いというものがありません。幼い頃は苦手だと感じる食材も多くあった記憶がありますが、今は普通に好んで食べることができます。その過程を今までは、単に「あ〜、私も大人になったなぁ。」という解釈で終わらせていましたが、実はそれが科学的根拠と自らの経験によって説明がつくことを知り、感動しました。確かに、苦味や辛味を強く感じる食材についての理解が深まるにつれ、その食材の持つ栄養価値を知り、それが私たち人間の身体にとってどれだけ重要なものであるかを知ると、いつしか自然と口にできていたのです。さらに、私が苦手としていたものを家族はおいしそうに食べていたり、調理法を変えてどうにか食べさせてくれようとしたりといった周囲の影響も大きかったように改めて実感します。そうしたことを振り返ると私はなんて幸せな食生活・食育を受けてこられたかを再認識するに至りました。
 また、今回の「ミラクルフルーツ」と「ギムネマ」という味覚修飾物質との出会いは、私にとっても興味深いものとなりました。最初は、味覚の変化にただ驚き、しかし、「この味覚修飾物質が今後、世の中にとってどのように役立つものとなるのだろう。」と疑問が浮かびましたが、今後の展望から医療現場での応用や低カロリー甘味剤の開発等、効果的な使用の道があることを知り、ますます興味が湧きました。
 「経験と学習」は近年、教育現場においても特に重要視されている事柄です。私も様々な「体験」から「経験」を積み、そこから「学習」していくということを通して「体験学習」の重要性・必要性は実感するところですが、その「経験と学習」が家庭科教育においても応用できることも学びとることができました。さらに、先生がおっしゃっていた「全員体験」という言葉は体験学習を成立させるにあたって特に大切にしなければならないことだと思います。それを実現させる授業力と講義力、そして「味覚」という感覚の魅力を同時に学ばせていただき、教師(講師)として理想の姿を見た気がします。
 味覚ありの食文化です。私たちの持つ豊かな味覚を大切に、そして味わうことの楽しさと魅力を教師となった際、食育として扱っていけたら良いと思います。とても興味深い講演でした。今後、私自身も味覚や味覚修飾物質について積極的に目を向けていきたいと思います。ありがとうございました。



Fさん 

 今回の講義をお聞きして普段は細かく考えていない味覚について深く学ぶことができました。ギムネマという葉を食べると甘味を感じなくなるという不思議な体験から始まったことで、講義について「いったいどういう仕組みでこんな風に味を感じるのだろう、なんで甘くなくなるのだろう?」ととても興味がわきました。そして講義を通して、味は味蕾で判別されるということがわかり、その中でも役割分担してあり、それぞれがどのような味を感じるようになっているのかがわかれているということを知り、味を感じる仕組みがわかりました。また、動物にとっての味覚についてお聞きしたときも、コアラの生きていくための仕組みに味覚が関係しているということや、ライオンの食にも決まりがあるなど考えてみれば納得することがあり、生きていくうえで役に立つものがおいしいというのが動物にとっての味覚だということが理解できました。五感も味覚に関係しているというお話では、ステーキ屋の例を考えてみてと言われ、確かに五感が味覚・うまみに関係しているなぁと思い、またそういうことを考えて食べるという行為を考えるとおもしろいものだと思いました。それと同時に自分が五感を意識して食べるという行為をすることで、うまみは何倍にも増えると思いました。
 また、私が講義の中で一番感心したことは、好き嫌いのメカニズムの内容のときで、楽しく食事できれば、自然とおいしいと感じるようにもなってくるから食事の雰囲気を大切にということや、自分の嫌いな食べ物であっても、自分で苦労して育てれば愛着がわき、それを食べることで何倍もおいしく感じ好き嫌いが直ることもあるというようなことで、これは教員を目指す私にとってはとても影響のある内容でした。自分が将来クラスをうけもって好き嫌いのある子がたくさんいたら、楽しく食べることを大切にしたり、クラスでなにかを栽培したりしてみんなでおいしく食べるといったような活動をすることで、子どもたちの好き嫌いを改善し、健康に生活してもらえるのではないかと思い、今回の講義の内容を自分のこれからの生活・活動にいかしていくことができるし、いかしていきたいと思いました。
 味覚修飾植物については、この言葉を聞くことも初めてだったのですが、実際にミラクルフルーツやギムネマを食べてみてその効果を体験したので、先生もおっしゃっていたように、実際に糖分などを含みすぎることなく味覚で甘味を感じることができればカロリーもたくさんとらずに済むし、他にもたくさんの応用法があると思いました。入手が簡単なものばかりではないらしいですが、こういったことを考えると味覚ということについてもっている知識も重要になってくると思います。実際に体験してみたからこそわかったこともあったし、不思議だと感じたので、本当に貴重な体験をさせていただいたと思います。ありがとうございました。



Gさん 

 今回の講義を受けてみてまず感じたことは、自分はいままで食事に気をつかったり、味覚について何も重要視などしていなかったなと実感した授業であった。1番の衝撃は味覚修飾植物などの実験であった。ギムネマを食べることで飴がまずく感じたり、ミラクルフルーツによって、レモンが甘くおいしく感じたことであったが、そこで思ったのが、人は好みによって食事を多くとっていることを実感した。実際私も、いろいろな食事をしていても、調味料によってまったくと言っていいほど味を変えることがあるし、自分がおいしいと感じるものばかりを食べていることに気がついた実験でもあった。親がいる時は肉や魚、野菜などしっかりとバランスがとれる食事をしていたのだが、1人暮らしとなった今、バランスのとれた食事などまったくしていない。実験に驚きを感じたとともに、人の食事に対する考えの甘さを実感させられた。そこでちょっと「食」について自分なりに考えてみました。
 味覚を知ることの重要性としては、現在、若い人たちを中心に、食文化の乱れにより、味覚がなかなか育っていないと思う。それは、ハンバーガーやカップラーメン、コンビニ弁当を食べている人が多い現状からである。まず、そのような偏った食事をすることで、健康を維持できなくなると思う。日々の運動も大事ではあるが毎日私たちが食べている食事も健康維持には欠かせないことであり、バランスの良い食事が大切になってくる。そのためにはしっかりと日本の食文化を大切にして、味覚を育てる必要があると思う。そう考えていくと味覚修飾植物の今後としては、苦いものも甘くしたり、味を変えてしまうので味覚を育てるためにも、あまり頼りたくないものであるように思われる。でも実際は、そのような味覚修飾植物によって味付けしたりしていて今後も使い続けていくのであろうと思う。でも、自分が毎日どのような食事をしているかによって、自分の食生活が正しいのか、それとも良くないのかは誰もがわかっていることである。それでもバランスの取れない食事に手を出してしまっているのが現状であるので、味覚の重要性であったり、日本の食文化をもう1度見直し、子供たちに指導していくべきなんだなと実感した。そして、私としてはまず、自分の食生活を見直していかに自分が好みだけで食事をしていたかを実感して、今後の食生活に役立てていければいいなと思った。また、もっと「食」について調べる時間をもって、将来自分が教師となった時、親として子供をもった時に、しっかりと子供に「食」について考えさせる機会をもてればいいなと思った。とても自分のためになる授業をありがとうございました。



Hさん 

 私は、今回の講義によって人生で初めてミラクルフルーツとギムネマを体験した。凄いことがこれから起こると聞き、まず、半信半疑でギムネマの葉を舌に擦り込んでみたが、その後に食べた、甘いはずの飴がなんと酸っぱく感じてしまったのである。そして、次にミラクルフルーツのタブレットを舌に擦り込んだのだが、その後に食べたレモンがとても甘く感じるという、魔法のような事態が二度も起きたのである。
 私が今まで知っていた知識では、味を感じる部分はプリントの図3の味覚地図のような大まかな分布でしかなかった。そこで今回、舌には乳頭や味蕾という味を感じる複雑な仕組みがあることを知ったのだが、私たちが普段、当たり前のように感じている味覚、それを感知する私たちの舌に、これほど多くの味を感じる仕組みがあることに衝撃を受けた。
 講義を受けて、「人にとってのおいしさ」について興味を持った。よく外食に行くことがあるが、あのラーメンは美味い、あの定食は不味いといった話が私たちの間ででる。その度に、私たちは何を基準に美味い、不味いを評価しているのだろうかと疑問を持つのである。そこで、今回の講義でおいしさとは、生理的欲求に基づくもの、文化に合致したもの、情報に基づくもの、薬理学的なものという4つの分類ができることを学んだ。私たちが運動した後に、スポーツドリンクを飲んでとても美味しいと感じることがあるが、これは体内で欠乏した栄養をとっているから感じる生理的欲求に基づくおいしさであることが分かった。また、上記の外食の件であるが、これは人間同士の口コミ、行列を見たことによるおいしそうなイメージといった、情報に基づくおいしさと、その店特有の秘伝のタレや麺の感じが良いといった薬理学的なおいしさであると分かった。情報に基づくおいしさというのは、情報だけが先走り、いざ行ってみたら実はそんなにおいしくない場合がある。また、薬理学的なおいしさというのは、いくら自分がこの店はおいしいと言っても、他者からしたらそうでもないと感じるように、人それぞれの味覚は異なり、万人がおいしいと感じることはとても難しいことだと分かった。
 私たちとって身近に感じられるために、味覚障害についても興味を持った。現代の若者は、面倒くさがる傾向があるため、どうしても加工食品やファーストフードに頼りすぎてしまう。味覚障害になってしまったら、おいしいものをおいしいと感じられなくなってしまうため、人生における楽しみを失ってしまうことになる。そのためにも、亜鉛を多く含む海藻、貝類を摂るようにするなど食生活を改善しなければならないと再認識させられた。
 今回の講義で中心となった、ミラクルフルーツやギムネマをはじめとする様々な味覚修飾植物の紹介があったが、先生も仰っていたように、これらを有効に活用することで糖尿病患者の治療や、肥満の方のダイエットにも役立てることができ、とても素晴らしいと感じた。このような効能のある未発見の植物はまだまだあると思うので、植物の効果を利用した治療という新しい分野が更に開拓されていけば医療の世界に革命が起こると思う。また、乳幼児がおもちゃ等を飲み込んでしまうという事故が時々見られるが、乳幼児が嫌がるような苦み成分をおもちゃに仕込むことで、そのような事故も軽減されるのではないかと考えた。他にも応用できる面はあると思うので、味覚修飾植物の更なる研究、発展に期待したい。



Iさん 

1.講義で感じたこと、わかったこと、興味を持ったこと
 まず、私はミラクルフルーツやギムネマの存在を知らず、それどころか講義で初めて味覚地図というものが間違っているということを知りました。理科コースに所属していながら、味覚を感じる仕組みについて自分がまるで無知であったということを実感しました。味蕾が生物の種類によって、存在する場所も個数もそれぞれ異なっているという話は大変興味深かったです。「ナマズに20万個も味蕾があるのは、ナマズが泥の中で生活していて視覚が退化しているため、味覚が発達したから」とありましたが、生物の多様性や生き物はただなんとなく進化したのではなく、何かしらの理由があって進化をしたのだということを子どもたちに考えさせる理科の教材としても面白いのではないかと考えました。
 また、今回受講者全員がミラクルフルーツとギムネマの効力を体感しましたが、この「体験」「体感」のインパクトというものが、教科を問わず、教育活動において重要だと私は思います。体験したこと、五感を使って感じたことは、話して聞かされたことの何倍も自分の中に残り、得るものも大きいと思います。

2.味覚修飾植物の今後の展開や味覚について知ることの重要性
 教員を志す者の立場として、味覚修飾植物を用いた授業を小・中学校の生活科、あるいは保健体育や家庭科などに積極的に取り入れ、味覚教育の手立てになればよいと思っています。
 体におもりや目隠しをつけ、関節を動きにくく固定し、手袋をはめて指を動きづらくし、老人の生活を疑似体験する、という授業を小学生の頃に受けた経験があります。1にも書いたように、父や母、あるいは先生に、「お年寄りは体が動きにくくて大変なんだから、親切にするんだよ」と言われることよりも、たった一度のこの体験のほうが、よほど説得力があったと記憶しています。
 食品添加物や塩分等の過剰摂取による味覚障害は、それを引き起こす原因がファストフードやスナック菓子、カップラーメンなど、私たちの身近にありすぎて普段あまり意識する機会がないものです。ミラクルフルーツやギムネマを使って、味覚障害を疑似体験することで、味覚障害について子どもに考えさせるきっかけをつくることができると思います。

3.その他自分の意見・感想
 今回の講義は家庭科のものでしたが、私は将来中学校の理科教師を目指しているので、子どもに「ふしぎ!」を与えられる理科の教材としてもぜひ使ってみたいなと考えながら聞いていました。島村先生のように、興味を持ったことをとことん追求するような、探究心・好奇心あふれる子どもを育てることのできる理科教師になるため、まずは自分がその姿勢をもって勉強していきたいと思います。貴重なお話を聞かせていただき、ありがとうございました。



Jさん 

1.講義で感じたこと、分かったこと、興味を持ったこと。
 今回の講義を通して、味覚とはそれまで自分が考えていたほど単純なものではないのだと分かった。舌の上には味覚地図が存在するとテレビや本などで目にしていたので、そうではなく鍵と鍵穴のような関係であるという点が驚きだった。たしかに考えてみれば、味覚地図が存在するのなら口全体に味がする、などということはないはずで、それを体験を通して実感できたことでより深い学びになったように思う。
 また、赤ちゃんやナマズ、ヘビなどの話を聞いて、味蕾や味覚は生きていくことと密接に関わっていると感じた。我々は生きてきた過程の中での経験を通じて、その食品が安全かどうか、食べなくてもある程度は判断ができるが、赤ちゃんにとっては味覚が全てであり、人間以外の生物にとっては野生で生き抜くために適した姿へと進化した結果なのだと分かった。
 やはり、体験を通じた活動はしっかりと頭に残るということを再認識した。ただギムネマはこういった効果があって、だから味覚が変化するんだと聞かされているだけでは右から左へ抜けていくだけで、大して記憶に残らないと思う。体験を通じ、自分の体で感じることでより深い学びが生まれるように感じた。

2.味覚修飾植物の今後の展開や味覚について知ることの重要性。
 講義の中でも島村先生がおっしゃっていたが、味覚修飾植物によって生活習慣の改善に役立てられると思う。酸味が甘味に変わったり、甘味を感じなくなることで糖分の過剰摂取を抑制できるし、味が強くて摂取しにくい栄養素も、味が変化すれば楽に摂取できるようになると思う。しかし、毎回タブレット等を服用しなければいけない、という点を手間に感じる人もいるだろうし、使ったからといってすぐに効果が表れるわけでもないと思うので、最終的には一人ひとりの心掛けが重要になるのだとも思う。
 食生活は人間の生活の中でも重要な位置を占めるものだといえる。それに密接に関係する味覚について知ることが、それから先の生活をより豊かで健康的にすることにつながっていくと思う。そのためにも小学校や中学校の段階で味覚について学習し、正しい知識を身につけることは非常に重要であり、それを教える教師自身が味覚について正しい知識を身につけることが必要だと考える。

3.自分の意見・感想。
 今回は持ち込み可能ということでコーラを持っていったのだが、ギムネマで何だかよくわからないような味に変わったり、ミラクルフルーツのタブレットで、炭酸が抜けきって温くなってしまった時のような味になって驚いた。コーラのあの味は炭酸が重要なのだと分かった。大人でも新鮮な驚きを得られるのだから、子どもに対して同じ活動をしたら、普段は見られないような表情が出てくると思うし、確実に子どもたちに深く残る活動になるのではないかと感じた。その点で、先にも書いたとおり、体験を通じた学びの重要性を感じた。
 それと同時に、ただ体験させるだけでは、楽しいだけで学びとしての知識の定着は図れないとも思う。今回の講義も、ただ体験するだけではなく、それ以外の部分でも非常に興味深いものが多く、とても勉強になった。自分が授業を行う時も、ただ行うだけでなく、それが本当に必要なのかを十分考えた上で体験活動を取り入れ、それを楽しいだけで終わらせることのないようにしたい。そして、子どもたちにしっかりと学びとして残せるように、うまく授業を進行していけるように努力したいと思う。



Kさん 

 今回の島村光治先生の講義を受けて、初めて知った知識や私にとって新鮮なことが多かったと思う。最初に驚かされたことは味蕾についてである。味蕾は人間においては成人で6,000個〜9,000個であるのに対して、ナマズは20万個もあるというのだ。それは薄暗く、光の当たらない沼の底などに生息しているためナマズが環境に適応して進化していったのだと納得した。また味蕾は人間のように口の中だけでなく、ナマズには全身にあるということもわかった。またハエが手をこすり合わしている様子を目にするが、あれは何も意味を持たない行為ではなく、手に味蕾があることから私たちにとっての歯磨きと同じようなものだと知った。この他にもコアラやライオンなどの動物の味覚、人間にとっての味覚、特にうま味に関することなど数多くの知識を学ぶことができた。
 これからいよいよ今回の講義の目玉であり、私が最も驚かされた味覚体験について述べていきたいと思う。私たちは講義の前にギムネマ、飴、レモン、ミラクルフルーツのタブレットを渡された。まずはギムネマを5分の1ほどちぎって、よく舌全体にこすり合わせた。そして飴をなめてみると、先ほど甘いと感じた飴が味のしないべたべたした石のようなものに感じられた。次にミラクルフルーツのタブレットをギムネマと同様にして舌全体に溶かした後、レモンを口にすると、不思議なことにあのすっぱいレモンがとても甘かった。まさに「百聞は一見に如かず」といえるような結果であった。しかし1人の友人は何も変わらないといっており、やはり人によって差異が生じるのだと思った。
 このような味覚体験や味覚障害の疑似体験をしてみて、普段あまり意識することのなかった味覚や近年増加している味覚障害について考えるきっかけとなった。しかしながら日常の食事の中で何気なく「おいしい」と感じていたものが「おいしい」と感じなくなったらどうだろうか。すると人間の三大欲求の1つである“食欲”が失われるのではないだろうか。しかし現実としていま若者たちの間で味覚障害という病気が年に24万人というスピードで増加しており、その原因が加工食品やファストフードに頼った食事によって、亜鉛が不足していることだとわかった。いまや味覚障害は私たちに全く無関係なことではなくなり、日常の食生活から考えていかなければならない。私自身いつ発病するかわからないと感じた。
 最後になりますが、実際いま私自身一人暮らしをしているということで栄養のバランスが偏りがちになっていると思う。また好き嫌いは幼少時代の経験に因ることが大きいということを知り、ここまで特別好き嫌いがないことや恵まれた体格に成長できたのも両親が私のことを考えて食事、栄養バランスを考えてくれたからだと思った。私が今回の授業内容、体験で感じたことは両親への感謝であると思う。



Lさん 

 この講義では、まず「とても楽しかった!」ということが印象に残っている。実践の伴う授業はやはり印象に残りやすく、力が身に付いた。初めて試したミラクルフルーツやギムネマという食べ物、とても驚きであった。先ほどまでおいしかった飴がいっきに不味くなってしまったり、レモンがとても甘く感じるというのは、完全に初めての経験であった。それを踏まえた上で、ギムネマがダイエットに使用されているということや、糖尿病の薬として使用されているのはとても納得のできる話である。
 味覚修飾植物の存在はこの授業を通じて初めて知ったのであるが、これはとても新しい研究であり、未来のある研究だと感じた。肥満や糖尿病が問題となっている世の中で、その現状に対応している、とてもいい研究だと思う。
 私の意見としては、味覚修飾植物が出てきてはいるが、肥満や糖尿病が低年齢化し、さらに問題となっている現代であっても、最後に1番大切なのは自分の意志であるように思う。太りたくないのなら、食べなければいい。食べるから太るのだ。最後まで頑張れるか、諦めてしまうのか、その最後の決定、意思を、私は最大限に尊重したいと思った。諦めて太ってしまったのなら、自分の責任。他人のせいになんてできやしない。私が先生になったのなら、そのように教育していきたいと思う。それが味覚教育の根本にあるものなのではないか。ただ、きっと自分の力だけでは達成できない、諦めてしまう人もいるであろう。そのようなとき、きっとこの味覚修飾植物に頼るときがくるだろう。自分の力で全てが達成できるのなら苦労はしない。人は失敗するものである。そのようなときに、なにか手助けすることができるとしたら…、愛する人が問題に犯されているときに、自分には何ができるのか…、味覚修飾植物は人が困っているときに助けることができる、とても未来のある植物だと、そう思う。この授業を通してその存在を知りえたこと、効果やその展望を知れたことはとても良かった。島村先生には本当に感謝の意を申し上げたい。
 そして、講義の中で島村先生がおっしゃっていた、「食べる時には雰囲気が大切」という言葉も私の心の中に残っている。子どもの時には味蕾の数も多く、好き嫌いがあるのは当然である。その中で、好き嫌いをしないほうがいい、栄養に偏りがでてしまってはいけない、というのは周知の事実である。そのようなときに、味覚教育、いかに好き嫌いをなくす教育ができるか、ということが大切である。確かに食べるときの雰囲気というのは大切だ。青空の下で食べたのなら、どんな手抜きの料理でもおいしく感じる。たのしい雰囲気で食べたのなら、きっといつもよりもおいしく感じる。嫌いなものも食べれるようになるのではないか。この話を味覚教育の研究者である先生から聞けたのは本当によかった。考えに証拠がつき、説得力がでたからである。食べることとは、漢字を分ければ、人をよくするということ。「食」を大切にする先生に、私はなりたい。




■大学院

Aさん 

 私は、幼稚園の時のトラウマで春巻が今でも食べられなくなった。幼稚園の給食で出た春巻の味が嫌で、食べたくないという意思表示をしたにも関わらず、お昼寝の時間、みんなが寝ている暗い部屋で全て食べられるまで食べさせたれたからである。それ以降、春巻を見るたびに気分が悪くなるようになってしまった。今回の講義で「食事はコミュニケーションをとりながら、楽しくすること」や「子どもは親の顔を見て、食べて良いか悪いか判断する。親自身が嫌いなものでも、おいしそうな顔をすること」で子どもの好き嫌いを減らすことができるというようなお話があった。自分に置き換えて見ると、親が嫌いなも=私も嫌いなものになっていないことが分かった。私自信の経験を通しても、島村先生のお話は、その通りだと納得することができた。
 このことを通して、私たちが教員になったとき、給食指導では十分注意しなければならないと思った。給食をおいしく食べ、好き嫌いを減らすようにするためには「食事はコミュニケーションをとりながら、楽しくすること」というキーワードがあがってくる。しかし、これは、遊ぶことではないということを児童にきちんと理解させることが重要になってくると考えた。楽しければ何でも良い訳ではない。私たちには、食事・給食のマナーを守りながら、楽しく給食を食べる習慣を身に付けさせる責任があると思った。
 また、味覚について教えるためには、私たちが今回やったように「ミラクルフルーツ」と「ギムネマ」の実験・体験がすごく有効だと思った。子どもたちは、私たちが教えなくても、実験・体験することによって、子どもたちなりに「味覚は大切だ」「味がないとおいしくない」「ミラクルフルーツはすごい力を持っている」などの感想や思いが出てくると思う。子どもたちにとってはとても有意義なものになるのではないだろうか。
 最後に、「味わうことは五感を総動員するため、糖分がないが、甘く感じるお菓子を作ることで、糖分はとらずに、お菓子を食べたという満足感を感じることができる。そのような応用方法も考えられる。」という資料の文章である。この文章を読んだとき、五感を総動員できない人たちは、どのように味を感じているのか、すごく疑問に思った。テレビなどで、目隠しをしてものを食べ、それが何かを当てるということをやっているのを目にする。しかも、ほとんどの人が、何を食べているか分からないのである。このようなことから、「ミラクルフルーツ」や「ギムネマ」の体験を通して、味覚の大切さだけではなく、五感の大切さや五感が不自由な人もいるという事実も知ることができるのではないだろうか。また、そのことは、道徳の授業や総合学習の時間との連携をとることができ、様々な学習へと広げていくことができると考えられる。今回の講義を無駄にしないよう、教師になったときに活かしたいと思った。



Bさん 

 『ミラクルフルーツ』という植物の存在は、かなり前だがテレビで観たため、それを食べると「食べ物の味が変わる」ということくらいを覚えていた。 しかしそれを使った『講義』があると聞いたとき、一体どんな内容になるのか全く想像できなかった。事前にネット等でミラクルフルーツの詳しい作用等を調べて行くことも出来たが、まずは『体験』を先にしたいと思い、何も情報を持たずに講義に出席したのだが、単に「ミラクルフルーツはすごい」という体験だけではなく、そこから派生する様々な自然界の不思議、そして、近年の重要課題である、『食』の重要さについても考えることができる、とても充実した1時間半だった。(もちろん、それまで酸っぱかったレモンが突然『シロップ漬けレモン』に変わったときは、あまりの衝撃に思わず目が点になり、しばらく体が固まってしまった。)
 まず、一口に『味覚』と言っても、それは単なる「おいしい」と食物を楽しむだけの感覚では無いことを知った。味覚は、生物にとって、生きていくための、そして、自分を守るための、とてつもなく重要な感覚であるのだ。特に、外敵に襲われる危険性の無い人間“以外”の動物にとっては、正しい味覚を持つか持たないかで、自らの生死をダイレクトに左右してしまうのだ。
 味を判断する『味蕾』の、代表的な生物における数の違い、そしてその分布部位の違いを知ることにより、例えば、ナマズが濁った水中でも外敵から身をかわし、ハエが一生懸命手を“お手入れ”している理由まで解ってしまい、なんとも興味深かった。不思議な行動の裏には、ちゃんと納得できる理由が存在するのだ。あの小さな体で、自分に与えられた感覚器を精一杯使って生き抜いているのだ。
 次に、味覚修飾植物の種類の多さに驚いた。ミラクルフルーツだけではなく、水まで甘く感じさせる植物まで存在するとは。そしてさらに、味覚修飾植物の産地では、単に「食べて面白がるもの」ではなく、「酸味が強く飲みにくいが栄養満点のお酒」のような、栄養価の高い食物を、ストレスなく摂取できるよう、あたりまえのように人々に利用されていることにも驚いた。まさに『健康に生き延びる知恵』である。(知恵といえば、味細胞の新生に不可欠な亜鉛は、クエン酸、ビタミンと一緒に摂るのが良いらしいが、亜鉛を多く含むカキにレモン汁をかけていたのは、そういうわけだったのかと解り感動した。どのくらい前の人が気付いて始めたのだろうか。あたりまえのようなカキ+レモン汁の組み合わせにも、知恵に基づく理由があったのだ。)
 ミラクルフルーツはじめ、種種の味覚修飾植物に含まれる味覚修飾物質は、「健康で長生きしたい」と願う現代を生きる人間にとって、一つの新たな道を切り開いてくれる重要な存在であると確信している。自分は『子どもの食育』には以前よりとても興味があり、在学中には教員免許の他に、食に関する資格を取得したいと思っているが、どの文献を読んでも必ず最重要項目として記載されているのが、『肥満』の問題である。肥満を防止するためには「糖分過剰摂取を控え」なければならないのは誰でも知っている。しかしそうと分かっていても、胎児の内より糖分に良反応してしまう人間は、美味しそうなお菓子を見れば食べずには居られないのだ。肥満であっても病気であっても、食べたくなる。制限されると、脳をはじめ、体にはストレスがかかり、また別の問題を引き起こしてしまう。
 そこへ、味覚修飾物質による、ひとすじの光が射すと思う。人間とは何とも単純なもので、酸っぱいものを食べたとしても、脳に“甘いものを食べた”と信号が行きさえすれば、たとえ舌に施された『イタズラ』であっても、満足できてしまうものらしい。以前、糖尿病患者用の献立写真を見たとき、「こんなもので毎日の『食』に満足できるのか」と、量も塩分も油も彩りもない単なる“食物”に虚しさを感じたが、味覚修飾物質は、そんな白黒テレビのような“食物”を、彩り鮮やかな“五感に美味しい食卓”を実現してくれる一つのきっかけになってくれるはずだ。
 (私事で恐縮ですが、以前ドイツに住んでいたときに、現地でよく食べられる、栄養満点でヘルシーな黒パンやバターミルクが、自分にはどうしても酸っぱくて常食する気が起きず、砂糖まみれの菓子パンと甘味つきヨーグルトを食べていました・・・もちろん太りましたし、吹き出物にもよく悩まされました。あの頃にミラクルフルーツのタブレットがあったなら・・・と悔やまれてなりません。一般学生にも手が届く価格での販売が可能になる日を、心よりお待ちいたしております・・・)
 最後に、人にとってのおいしさとは、生理的なものだけに基づくものではないということが良くわかった。食べ物は、幼少期に親と『楽しく』食べたから、美味しいと感じるらしい。改めて、自分の母親に感謝したい。味覚は文化であると同時に、『愛情の問題』でもあるそうだが、まったくもってその通りだと思う。子どもが一人で食卓に座って、インスタント麺をすする光景は、今や特に珍しいものではなくなってしまったが、それは決しておいしさを感じる食事ではない。この飽食の時代に、ほんとうの『美味しいごはん』を食べられない子どもがたくさんいることは、とても悲しいことである。そして、そんな寂しい栄養・愛情不足の食事を続けることは、将来『肥満』『偏食』『キレる子』のような、何かしらの問題になって現れてくるというのは、既に周知となっている。両親共働きが多いこのご時世だが、何とかして、子どもと少しでも『親が作ったものを』『一緒に』『楽しく』食べる機会を増やしてほしい。夜の11時も近いコンビニやスーパーから、弁当の入ったビニール袋を提げた親子が出てくる光景を見るたびに、「今日はたまたまお母さんの都合が悪かっただけなんだな」と信じたい自分がいる。
 今回の講義をとおして、味覚から広がる様々な事象に思いを馳せることが出来た。きっと他の学生も、それぞれ思うところがあり、自分の考え等を再確認したり、深めることができたに違いない。そんなきっかけを与えてくれた小さな赤い実と、その“日本の父”である島村先生に、心から感謝いたします。どうもありがとうございました。
 そしてもう一つ最後に・・・
 ミラクルフルーツの作用と同じくらいに感動したのが、島村先生の研究にかける熱意でした。何の情報も無いところから、ネットも満足に普及していない時代に、ミラクルフルーツの国内栽培に成功されたことには、ただただ尊敬いたします。栽培技術の発展においても、タブレット開発においても、多くの素晴らしい協力者がいらっしゃったことでしょう。島村先生の強い熱意あってこそ、良い人が集まってきたのだと実感いたしました。これからも、先生の『熱意が夢を実現した』お話で、皆を(特に夢あふれる子どもたち)を元気付けていただければと思います。
 今後益々のご活躍を、心よりお祈りいたしております。



Cさん 

 平成17年の食育基本法の成立以来、食育への取り組みは、学校・企業・家庭などを巻き込み、様々な場所で関心を集めるようになった。食に直結する、外食産業でも食育への対応が急務とされている。今日においては、食に関する報道や各種取り組みを耳にしない日はない。私は、このような状況下の背景にはファーストフード化をはじめとする食文化の崩壊が背景にあると考えている。食育基本法でも謳っているように、食は生きるための基本的な知識である。すなわち、生きる手段を養うべき教育フィールドで教育として行っていかなければならない。食育は家庭でやれ、若しくは学校でなどという言葉を時たま耳にするが、どこかが負担するのではなく本来は学校・家庭・地域と連携して食育に取り組んでいく必要があるだろう。
 乳児期から子どもの育ちの基盤である、家庭での食に対する意識づけは欠かせない。平成18年に安倍内閣によって改正された教育基本法でも家庭教育に関する項目が新設され、親は子の教育について第一義的責任を有するものであり、生活のために必要な習慣を身に付けさせることを主張している。最近では、偏食の子どもが特化して多くなったともいわれる。偏食を防ぐには、発達段階に応じた適切な対策が必要である。島村先生の講義でも話があったように、味覚に対する意識が大きく関わってくると考えられる。人は経験をし、成功体験や失敗体験を基に学習し、成長する。私の経験上も、先の項目で思い当たる節がいくつもあり、深く考えさせられた。一例を挙げると、私は小さい頃からトマトが嫌いであったが、それは嫌いという先入観が理由であることがわかった。無理やり食べさせられ、いやな経験もあった。まさにトラウマとでもいえよう。以前に偏食を直すための心理療法を本で読んだことがあり、イメージの重要性が説かれていた。それは、つまり意識を変容させることである。それから、今更ではあるがトマトの苦手も克服傾向にある。
 私たちの大半は、学校現場に出ることを希望している。したがって、学校での食育の取り組みは気になると同時に、どのような指導を講じていけばよいかが不安なところである。今や、学校現場での食育への取り組みも不可欠となっており、文部科学省も学校における食育の推進を掲げ、栄養教諭の配置や食育に関する教材導入などに取り組む状況下にある。
 栄養教諭といった専門職の配置は心強いが、任せきるのではなく、すべての教員が一定の食に対する知識を習得しておくべきである。小学校教諭は給食の時間を児童と共にする。食に直接的に触れる日々の機会である。食の好き嫌いが発生する要因として、@第一印象、A雰囲気、B経験が挙げられてが、私はここでは、A雰囲気づくりが最も大切でないかと考えている。楽しい食事空間にすることで、おいしく食に触れることができる。バーべキューやピクニック、お花見などでの食がおいしいのには、そんな雰囲気に関連性があるであろう。食の問題としては、孤食の問題もある。ひとりで食べるより、みんなで食べたほうがおいしく食べられる。食のたのしさを体感していくことが大切ではないかと思う。
 現代の社会で発生している食に関する諸問題は、高度経済成長を経た豊かさとの引き換えである。古来から伝わる食の風習を見直すことで、食はより親しく、生きるための基本知識として定着するに違いない。
 島村先生の講義では、食のおもしろさを多く発見することができた。このような情報提供ならびに食の不思議を体験する機会を頂け感謝している。ありがとうございました。
 私たちが教壇に立った際は、今回得た知見を、またちがった視点から子どもたちへアプローチできればと考えている。



Dさん 

 島村先生の講義は別の授業で参加できなかったため、講義概要のプリントとミラクルフルーツやギムネマの実験を通して理解したこと、考えたことをレポートとして書きます。
 味を感じるしくみについて、味蕾という言葉は聞いたことがあったのですが、味蕾が具体的にどういう働きをして味を感じるかまでは知りませんでした。私はいままで味覚地図のことを信じていて、苦い粉薬を飲むときはできるだけ粉を舌の先に乗せてから飲む、ということを試していました。それが全く科学的に意味のないことだとわかって納得しました。
 味覚障害に関して、加工食品やファストフードなどを食べ続ける食生活によって亜鉛不足になることが原因となり、若者たちの間で味覚障害が増加していることは気になります。私自身も、化学調味料や添加物がたくさん使われていると思われる、スーパーやデパ地下で購入した総菜やコンビニのお弁当、ファストフードを続けて食べていると、何となく舌の感覚が鈍くなる感じがすることを自覚します。また、それらの加工食品やスナック菓子ばかりの生活が続けば続くほど、味の好みがより濃くなり、食の嗜好がよりジャンクフードに傾いて行くように思います。私が以前勤務していた中学校の生徒たちのお弁当のおかずは、冷凍食品が多く使われていました。味付けに必ずマヨネーズがないと食べられない生徒もいました。栄養の偏りだけでなく、味覚そのものへの影響があることを自覚して加工食品やジャンクフードを口にしている子どもは多くないと思います。食育のなかで、味覚本来の働きや味覚障害について教えていくことは大切だと思いました。子どもへの食育だけでなく、保護者への働きかけも必要だと考えます。
 ミラクルフルーツとギムネマの実験で私が試したものは、レモン、グレープフルーツジュース、梅干し、トマト、チョコレート、ポテトチップス、サッポロポテト、コーラ、牛乳、麦茶、野菜炒め、ほうれん草のごまあえ等です。ミラクルフルーツは、普段酸っぱすぎて絶対に食べられないレモンが、グレープフルーツに砂糖をかけて食べているような感じになったこと、普通のスーパーで購入したあまりおいしくないトマトが、フルーツトマト並みに甘くおいしく食べられたことが印象的でした。砂糖を使わなくても十分に甘みを感じることができるので、よけいな人工甘味剤を使わずに安全に甘みを得られる方法となることに期待します。
 ギムネマの実験では、グレープフルーツは酸味と苦みをより強く、梅干しでは酸味が強調されました。麦茶はほとんど味に変化はありませんでした。チョコレートや飴は甘さを全く感じず、とてもまずかったです。牛乳は甘みが無く、油分を感じました。スナック菓子はそれほど味に変化は感じなかったのですが、全体的に味が薄くなり、しょっぱさがより強調されました。今回の実験で一番面白かったのは、野菜炒めとごま和えの味がギムネマを食べたあともそれほど変化なく、おいしく食べられたことです。ほうれん草のごま和えは、甘みを感じない分ほうれん草のえぐみを感じましたが、まずいとは思いませんでした。野菜炒めは人参、セロリ、ベーコンを塩とコショウで軽く味付けしたものでしたが、野菜やベーコンの本来の甘さが、ギムネマの後でもほとんど変わらずに感じられました。チョコレートやスナック菓子、コーラなど体に悪いだろうと知っていても、ついつい食べたくなるもののおいしさの正体は糖分だったのだと、今回の実験ではっきりとわかりました。私が最近口にしている食べ物の多くは化学調味料や添加物がたくさん使われていそうなので、子どものころ食卓に出ていたような地味なおかずのおいしさをもっと大切にしないといけないと思いました。
 これから教師になって、子ども達に食や健康に関する教育を行うとき、スナック菓子やファストフード、清涼飲料水がなぜ体に悪いのか、何が体に悪影響を及ぼすのかを知ってもらうことも大切ですが、本当においしいもの、おいしい食べ方も知ってもらいたいです。化学調味料や保存料に頼らない調理方法や食材、おいしく食事をする環境、人間の味覚はいろいろな食べ物を食べることで出来上がっていくこと。子どもに教える前に、まず私自身が食生活を見直し、本当においしいものをきちんと食べる、規則正しい食生活を身につける努力をしていかないといけないと思いました。



Eさん 

 「食」は私たち人間が生活していく上で大変重要である。また味覚は人間が食を楽しむのに必要不可欠である。味覚を失うと食を楽しむこともできず、食欲すらなくなってしまう可能性もある。ギムネマを食べた後の角砂糖とチョコレートは衝撃的であった。普段何気なく甘く美味しいものとして食べているものから味が消え、舌の感触だけが残った。味覚障害という病気を聞いたことはあるが、実際に美味しいものを食べても全く味を感じないという体験をしてみないとその辛さはわからないものである。
 講義には残念ながら出席することはできなかったが、プリントを読み、味蕾の場所、数が生き物により大きく異なるということに非常に興味を持った。とりわけハエの味蕾みがきという行為や、ナマズの20万個という味蕾の多さには驚かされた。私たち人間にとって手や体で味を感じることは想像もできない。しかし逆に言えば、味蕾が手にあったり、数が多いということは、味蕾を頼りきって生きていかなければならないということでもあり、生物学的に非常に興味深い。人間の赤ちゃんの味蕾の数は12,000個、一方で成人は6,000〜9,000個であることから、考える力や、ものを見たり音を聞いたりして判断する力がつくと、味蕾の数は減少するのではないかとも考える。
 次に糖尿病などの患者へ甘味剤として味覚修飾植物を利用することは大変おもしろい試みだと感じた。実際のところ糖尿病などの患者は食事制限が厳しく、糖分も控えなければならないことから治療は大変辛いものだと聞いている。味覚修飾植物などを利用することにより様々な味を堪能することができれば、治療への負担が少し軽減するのではないかと思う。
 情報に基づくおいしさについてもプリントを読み、考えさせられた。普段私達が美味しいと感じている物の中には、「ふんわり○○」や、「カテキン○g」などのキャッチフレーズなどの情報によるものも大きいと思う。よく言う「美味しそう!」はこれなのではないか。またこれは味蕾で感じる美味しさとは異なり、人間だけが持っていることも興味深い。
 うま味はすべて日本人が発見したと書いてあり、非常に驚いた。それを聞けば、日本には「味の素」などのうま味を出すものが日常生活の中に溢れているのにも納得できる。また、亜鉛が味覚を発達させると知り、自分自身の食生活を見直すことができた。日本食では亜鉛を多く含む食材が多く、昔から日本人の味覚は優れていたのではないだろうか。
 最後に、今後ファーストフードのよりいっそうの普及により、味を感じることができない若者が増えるのは非常に恐ろしい。人間にとって美味しいものを美味しいと感じることは幸せであり、子どもの頃にそれを経験することにより、感性が育まれるのではないかと思う。また、小さい頃から慣れ親しんだ家庭での料理や、郷土料理は愛情である。久し振りにそれらの料理を食べた時、美味しいと感じたり、懐かしいと感じたりするのは、それらの料理にたくさんの思い出が詰まった愛情があるからだと考える。現在日本では、24時間営業のコンビニもあり、手軽に作れるインスタントフードも普及しているが、それらに頼らずに、もう一度原点に戻り、素の味を感じる必要があると思う。



Fさん 

 率直に言って、とても楽しい90分間を過ごすことができた。一口に「味覚」といっても、ここまで引き込まれる内容になるとは思ってもみなかった。
 まず、今回の主役であるミラクルフルーツとギムネマについては、両方ともただなんとなく聞いたことがある程度だったので、それらがどんなものであるかということに関しては、講義を通じて初めて知った。実際に口にしてから味覚の変化を体感してみて、生まれて初めてのことでとても不思議な・変な感覚に襲われたが、同時にとても興奮したのを覚えている。今までの自分の人生において、更には日本の植物・味覚界においても、こんな魔法のようなことが現実に起こるということがまだよく理解できなかったからなのかもしれない。とにかく、最初のインパクトが大きかった。
 また、初めて知ることの連続だった。@なぜ幼い頃嫌いだった食べ物が段々慣れて好きになっていくのか、Aなぜコアラはあの運動神経で過酷な世界を生き抜くことができるのか、Bなぜ蝿は手をこすり合わせるのか等、子どものときから疑問に感じていたことへの分かりやすい回答を得ることができたのも、私にとってとても魅力的だった。ここで、特に@については、レジュメや講義でも話題になった「情報」等とも併せて考え、次のような疑問が浮上した。『人間にとっての味覚・舌の感度は「ジャングルで生まれた」前提なので、赤ん坊のときは味蕾が多い。徐々に成長するにつれその数は減るが、「経験と学習」を積み、様々な情報を得ることで、苦味や酸味も受け入れることができるようになる。では、例えば縄文時代、鎌倉時代、江戸時代、現代のそれぞれの時代の二十歳の青年を比較したとき、それぞれの味蕾の数の差は一体どれくらいなのだろうか。』様々な調理法や味付けに加えてそれに伴う「経験と学習」量が、現代とは比べ物にならない程少ない人類初期を生きていた人々には、恐らく今の私たちよりも沢山の味蕾があったはずである。なまずの10万個には及ばないとしてもかなりの量が期待できるはずだ。では、実際はどれくらいだったのだろう。
 そして、「味覚の仕組み」や「おいしさ」についての話を聞きながら、学校現場での給食指導についても私はあれこれ考えた。昨年度一年間、私は県内のとある中学校で常勤講師としての生活を送った。そこでは授業以外にも、休み時間や清掃から部活や各種行事に至るまで、沢山の貴重な経験を得ることができた。そこでとても難しかったことの一つが給食指導である。県内でも有数の米の産地だったので、給食で出されるご飯もとても美味しかったのだが、その味に慣れてしまっている彼らの中には「白飯だけじゃ食えねえ」などと言う不届き者も(当然、野菜嫌いも多数)いた。現在の教育界の複雑な背景等もあって厳しい指導はできず、私は「多いなら口をつける前に減らす」「最後にあと一口だけ食べて!」といったことしか言えず、結局あまり成果はあげられなかった。講義では、「小さい子に無理矢理食べさせるのは逆効果」「成長するに従って克服していく」とあったが、私が直面した現場の現実は、「そんな悠長なこと言っていられない!」という程ひどい残飯の量だった。もちろん、日によって残飯が少ないときもあるし、講義で言われたことの大切さもわかるが、そこを現実と、また学校毎の実態に合わせてどう指導していくかが、教師としての腕の見せ所だと強く感じた。
 「生きる」ことにつながる「食べる」ことに関しての内容であり、私自身食事はとても楽しみなことの一つなので、本当に有意義な時間を過ごすことができた。こんなに科学が進んだ世の中にこんなにフレッシュな研究があるということにも、とても興味がわいたし、科学の素晴らしさ・面白さ、地球や世界の不思議さにも改めて気付くことができた。「何気ないことに疑問をもつようにしよう」という島村先生の言葉が印象深い。これから先まだまだ続く長い人生で、沢山の「?」を感じ、それらを「!」に変えていけるよう、子どもたちと関わり合いながら成長していきたい。



Gさん 

 キレやすい子どもたち、落ち着きのない子どもたち、体力のない子どもたち…子どもをめぐる今日的な問題の背景には「食」の不備が影響を及ぼしているとする意見をよく耳にする。いまや、子どもたちに人気の食品ランキングでも、手軽で簡単なファストフードやインスタント食品。安くてボリューム重視のジャンクフードが上位を占める時代となり、伝統的な家庭料理など見る影もない。そこには食で最も重要であり、かつ人が生きる上で欠かせない「栄養」が完全に欠落してしまっている。先生は警笛を鳴らす意味で「ファストフードの栄養成分は半分が脂=脂肪です。脂には、食欲をそそる成分が含まれています」といった趣旨の発言をされたが、身体にとって必要な栄養素である脂肪も度を超せば害になる一方であることを改めて教えられた次第である。いわんや、栄養知識に乏しい子どもたちが、せっせせっせと喜んで「害なるもの」を吸収していれば、身体になんらかの変調を来すのも無理からぬ話であろう。若年層に味覚障害が増加しているという事実もこれらの過剰摂取と何らかの因果関係があるのではなかろうか。
 しかしながら、子どもにばかり責を負わせるのも酷である。彼らは栄養という概念を理解していないのだ。知識を授け、実践に生かし、後世に伝える−これらは大人がやらねばならぬ責務なのだが、いざ「食育」となると自分自身も教えることに自信が持てない親が少なくないはずだ。実際、これまで学校現場でも食育があまりにも疎かにされてきた。近年になって上記で述べたような問題が噴出し、ようやく食の重要性が再認識されてきているものの、先生曰く「子どもの頃にきちんとした味覚が形成されなかった」のか否か、未だに野菜をまったく食べない、肉類のみの食生活、ジュースや菓子類の過剰摂取といった偏食家を見かける。本人たちは、身体はどこも悪くないと意気軒昂だが、健全な食生活を送っている人と比べて、将来的に健康を害すリスクは明らかに高いはずだ。これらの事象を見るにつけ、「鉄は熱いうちに打て」の言葉通り、食と味覚に関する教育も子どもが幼いうちから行うのが効果的であると確信した。
 その意味において、今回の授業−ギムネマの葉を噛んで、食前食後の飴の風味の違いを比べる。ミラクルフルーツの錠剤を舐めて、食前食後のレモンの風味の違いを比べる。苦味、酸味、甘味等々、人にとっての基本の味覚を自らの舌で味わうことによって実感させる手法は、教科書や座学では「味わえない」貴重な経験であった。我々、大人でさえ新鮮な驚きを覚えるのだから、子どもたちにとっては何度でも味わいたい楽しい授業となるに違いない。遊びの要素をふんだんに取り入れ、楽しみながら味覚の意味を知る。やらされる授業ではなく、自ら率先して参加するという、学問本来の姿がここにはある。
 最後にギムネマやミラクルフルーツの糖尿病患者への適用を行っているとのことだが、僭越ながら私が考えるプロの定義「一つの事柄を極める」「それを世に広める」「社会の役に立つ」「高い倫理観を持つ」に照らし合わせると、先生の行っている活動はまさにプロの仕事。一人でも多くの患者さんが安らぎを抱かんことを願って止まない。



Hさん 

 今回の講義では、私たちが食べ物を摂取する際に必ず使用しているが、その働きについてはあまり意識を向けていない「味覚」について、改めて考えることができました。また、その「味覚」というものの教育を行った際に、子どもたちにどのような成長をもたらすかということについて考え、知ることができたと思います。
 子どもたちが食、特に「味覚」について考える機会というのは、非常に貴重なものだと思いました。普段の食の中で私たちがどのように味を感じているか、ということについて興味・関心を持たせること、そして味覚の異常が生活習慣に与える影響や、それが原因で健康を害してしまう、場合によっては生命の危機にまで発展する問題であるということについて考えさせる、など、子どもたちが社会に出て、自立して生きていく上で重要な多くのテーマが含まれた領域の教育であると思いました。子どもたちは、食べ物を食べたときになぜそれを「甘い」「辛い」「旨い」というように感じるのか、ということについて学ぶ機会は多くないと思われます。味覚修飾植物を用いるなど、味覚について興味・関心を持たせ、その機能の在り方について正しく学ぶことができる良い機会になると思いました。日本の3大死因である悪性新生物(がん)、心疾患、脳血管疾患をはじめとする所謂「生活習慣病」の発症の増加、特に糖尿病、肥満症などの食習慣に起因するものが、高齢者のみならず若年層に広がっています。これらの疾病は、栄養の偏り、不規則な食事摂取など食生活の乱れの起因が指摘されており、子どもたちが「食と健康」を理解することの重要性が認識されています。このように、食とその習慣における問題は、生きていくことに関連する問題であると言っても過言ではなく、食とのかかわり、そして、現在、若い人(自分たち自身)の食生活が乱れているということについて、子どもたち自身が考え、問題のある習慣の見直しや、その改善について意識する、という面においても非常に重要なテーマであると思いました。
 今回の「ミラクルフルーツ」や「ギムネマ」などの味覚修飾植物を使用した場合、どのように家庭科の授業を進めていくことができるか、ということについても考えることができました。普段、馴染みがないことや、その効果の不思議さから、「ミラクルフルーツ」と「ギムネマ」は共に、子どもたちに味覚について興味を持ってもらうには非常に有効な教材になると思いました。また、これらの味覚修飾植物が「生活習慣病の改善に使われている。」ということから、生活習慣病と正しい食生活についても関連して考えてもらう機会になり得ると思いました。



Iさん 

 第一回目の家庭科指導法の講義で、島村先生においでいただき、ミラクルフルーツを食べながら講義をしていただけると聞き。今日を楽しみにしていました。ミラクルフルーツはテレビで見たことがありました。しかし、すっぱいものが甘くなるなんて、嘘だ。やらせだ。と思いながら今日の日を迎えました。しかし、はじめに体感したのは、ミラクルフルーツではなく、ギムネマというものでした。見た目は葉っぱでした。飴の甘さは、ギムネマを舐めたあと感じませんでした。ここから今日の講義にひきつけられました。舌には味蕾、味を感じるセンサーがあるということを知りました。次にやったミラクルフルーツはテレビで見たとおりでした。酸っぱいレモンが甘いオレンジを食べている感覚でした。
 味覚について興味がわいたということもありましたが、一番強く感じたのは、島村先生の味覚やミラクルフルーツに対しての情熱です。16歳から研究をし続けているということに非常に驚きました。好きこそものの上手なれという言葉がありますが、探求、追求するということがまさに島村先生に当てはまりました。また研究だけでなく、私たちをはじめとする学生に味覚の知識を講義してることがすばらしいと思いました。
 私は教員を志していますので、島村先生の講義をただすばらしかった、だけでは片付けるわけにはいきません。味覚の知識、ミラクルフルーツや、ギムネマを教材として、児童生徒に何を伝えるべきなのか、また何が伝えられるのかといったことを考えなくてはいけないと感じました。ギムネマで考えてみると、甘かった飴があまくなくなりました。これは、味覚障害をもった方の気持ちに30分間ですが、近づけると考え。児童生徒に味覚障害の辛さ、甘いケーキを食べても甘くなかったらどうだろうという問いを投げかけ、味覚障害の方の気持ちを考えさせる授業もできると考えました。またミラクルフルーツは糖尿病の患者さんに重宝されるというお話から、児童生徒に考えさせ、酸っぱいものを甘く感じて喜ぶ人はどんな人かと考えさせたり。なぜ糖尿病の患者さんは甘いものを食べてはいけないかという保健体育の授業にも活用できるのではないかと非常に曖昧ではありますが考えました。
 今回の講義のあと、久しぶりに実家に連絡して、講義のことを家族に話しました。特に妹が興味を示していたようでした。家族の会話が弾む力をミラクルフルーツはもっているとも感じることができました。島村先生、佐藤先生、充実した経験をありがとうございました。



Jさん 

 講義は内容はとても楽しいものでした。大学の講義は、普通椅子に座って机に向い、先生が話す内容をノートも取りつつ聞き逃さないよう必死についていくというものです。しかし、今回の島村先生の講義は最初から違いました。自分で実際にまず、自分の味覚という「感覚」を使い、先生の研究を体感できるところから始まるということです。講義の最初から、講義でやる内容について、まず「体感」することにより、講義内容にすごく興味が湧いた状態から講義を聴き始められました。
 我々にとって、食べることは当たり前のことで、食べ物を口に入れれば味がするということも疑問を持ちにくい視点でした。それゆえ、私が講義前から知っていた味覚に関する知識といえば、舌には味覚地図というものがあるということだけでした。しかし、講義でも言われていたように味覚地図というものは間違いで、実際には舌には味蕾というものがあり、それで味が判別されるということでした。しかも、味蕾は舌だけにあるのではなく、上顎、咽にもあるというのもわかりました。味蕾の味の判別方法には鍵と鍵穴の関係があり、それぞれ味の種類によって専用の鍵穴があるということも初めて知ったことです。講義を聞いたことで、幼いころ苦い薬を飲むとき、味覚地図で苦みを感じると言われていたところに薬が当たらないようにして薬を飲む努力していた自分は馬鹿だったと思うと同時に、今まで当たり前すぎて気にも留めてこなかった「味覚」というものに対する自分のあまりの無知さを恥じ、新しく知る「味覚」の構造の真実に、衝撃を受けました。
 講義の中で印象に残っているもので、「五感によっておいしさもUP!!」ということがありました。私は、男一人暮らしなのでどうしても食事に関しては「見た目なんて関係ない。大事なのは味だろう」という気持ちになりやすいです。見た目に注意を払うということは手間が増えるうえ、いろいろ時間もかかります。でも実際に講義を聴いていると、見た目、視覚の重要さが理解できました。重要だと思ったのが、家庭での食事の雰囲気です。赤ちゃんが離乳食から普通の食事に変わるきっかけは、家族が食事をおいしそうに食べる場面を見るということが赤ちゃんにとって、とても影響があるということでした。家族が楽しい雰囲気で、おいしく食事をすることが、家族団欒のためにも重要ということはよく聞く話ですが、それを見る赤ちゃんの成長にもつながるというのには驚きでした。これも大事な食育なのでしょう。「見た目良く」というのは、いかに美味しそうに料理を盛り付けることや並べることだけでなく、料理をおいしく、楽しく食べる、つまり、「見た目良く」食べるというのも重要だということがわかりました。
 変わって、味覚修飾植物の応用に関しての感想ですが、今の社会は、健康意識、美容意識が高まりテレビの食品CMをみていると、カロリーオフ、低カロリー、糖質オフ、シュガーレスなどの言葉が決まり文句のように商品アピールに使われています。皆、「健康でいたい」「太りたくない」「綺麗になりたい」と願う一方で、「おいしいものを我慢することはなるべく避けたい」というのが本音でしょう。誰だって自分の願いは楽に叶えたいもので、今の社会は、おいしさはそのまま残しつつ、糖分やカロリーを減らした食品に需要があるのだと思います。
 確かに、これらの需要に対して、企業は研究し、それにより、どんどんその需要に即した製品が登場しています。インターネットで調べたものを少し挙げていくとお酒関係だけでも、アサヒオフ、スタイルフリー、アクアブルー、フルッティオ(Asahi)、麒麟ZERO、淡麗グリーンラベル、氷結ZERO(KIRIN)、ビバライフ、スリムス、スーパークリア(サッポロビール)DIETクリアテイスト、ファインブリュー、カロリ(SUNTORY)など挙げていくときりがないほどです。このほかにも飲料水や、お菓子など、どの食料品のジャンルを見渡してもそのような主旨の商品は見つかるのではないかと思います。しかも、その商品はどれも、砂糖が入っていない、カロリーがカットされているとは思えないほどおいしさそのままに、またそれとは違ったおいしさ、はたまたさらにおいしくなっていると言えるのではないでしょうか。しかし、企業の「低糖、低カロリーの製品を生む」という企業努力の方向性は、人口的な成分(人口甘味料)を使用して人々の需要を満たすというような志向がほとんどだといえるのではないでしょうか。だとすれば、島村先生が研究を進めているミラクルフルーツやギムネマといった自然のものを使った方向性で健康のための製品をつくっていくことはとても意味のあることだと思います。自然から作られたものなら、副作用などの体への危険性や影響も少なくなると思います。
 また、今回の講義は将来自分が教師になったときの授業方法のヒントにもなったと考えています。この講義では「味覚」という普段、講義では使わない感覚を使いました。私はこの普段使わない「味覚」を使うことにより、強い関心を持ちながら講義を受けられました。これをもとに考えると、子どもたちにはいつも同じような「感覚」だけを使わせるような授業を行うのではなく、人間が持つ「感覚」をフル活用させて授業を行うことが、子どもを惹きつけるヒントなのではないかと思いました。何を題材にするかは難しいとは思いますが、聞き手(子ども)を惹きつけるのに重要なことの一つとして今回の講義のようなことを知り得たことはとてもよかったです。



Kさん 

 近年、「食育」という言葉が取り上げられ、注目を集めるようになってきた。学校における食育の促進理由として岡陽子(2007)によると、「食」を大切にする心の欠如、肥満や生活習慣病の増加、食の海外依存を含めた安全上の問題の発生などを挙げている。しかしながら、実際現場でどういう内容およびどういう形態で授業をするのか、子どもにとってどのような授業が効果的なのか、などの面でまだまだ改善の余地があるのが実情であろう。私自身も将来教員になる立場として食育というものをどのように扱っていくのかということは、1つのテーマであった。私の食育のイメージとしては、給食の延長上での調理師・栄養士の講義や家庭科の延長上の栄養素または調理実習を含めた食の勉強というのが基本的なものだと考えていた。しかしながら、今回島村先生の授業を受けて、食育の大きな可能性をみることができた。
 今回の講義は大学生に対して行われたが、これを少々改善すれば中学生・高校生はもちろん、小学生にも「食育」として教えられると思った。なぜなら、全てが食に関して学習する内容で、味覚という観点から食に対して考えさせるものであったからである。そして、島村先生の講義を受けていて、とても「楽しい」と思った。ではなぜ島村先生の講義は自分にとって面白かったのか、そこに食育の可能性、更にはより良い食育の授業内容や授業形態のヒントが隠れていると思う。
 まず、実際に自分自身で体感したということが大きな要因だと思う。今回はギムネマやミラクルフルーツを使ったが、先生がおっしゃっていたように、代表者が体感するのではなく、講義を受けている人全員が体感することに意味がある。皆が体感することによって、全員が変化に対して周りと意見を交換し、また、自らの意見も確立していく。このことは学習指導要領でも挙げられている、「自ら学び自ら考える力」につながっていくと思う。今回は講義が終了した後も味覚の変化について話をしていた。おそらく学校現場においても児童・生徒から同じような反応が返ってくることが多いに想定出来る。「自ら学び自ら考える力」ということは大変重要なことであるが、同時に、教師が児童・生徒に促すことが大変難しいものである。そこで将来教師になり食育を教えるにあたって、今回島村先生がおっしゃっていた「全員に体感させる」ということを念頭において授業をしていきたいと思った。
 次に、食育というものが1つの教科に留まらず、さまざまな教科の要素が入っているところが、面白かった要因だと思う。今回は味覚の講義であったがその中でも様々な教科が混在していた。例えば、味蕾のある場所や味の認知の仕組みなどには「理科(生物)」の要素が入っているし、味覚障害に関する記載に関しては「保健」の要因のも入ってくる。また、ミラクルフルーツやギムネマの原産、生産地の特徴などについては「社会(地理)」の要素が入ってくるし、‘人にとっての味覚とは’いう部分には「家庭科」の要素も入ってくる。このように「食育」というものが、今回の講義だけでも様々な教科の集合体であるということを認識できた。1つの教科の枠の中でだけ考えるのではなく、様々な教科の要素を集めた総合的なものとして捉える事が、児童・生徒の興味へとつながり、更にはより多くの理解へとつながっていくのだと思う。
 他にも、好き嫌いのメカニズムや人にとっておいしく感じるとはなにかという、普段何気なく行われていること、つまり自分にとって身近に感じられるものが内容に盛り込まれていたこと。また、今回の講義に使った味覚装飾植物が糖尿病や肥満など医学的な応用があるという、その無限の可能性に対する興味が学習の促進につながっていると思う。
 最後に、上記に記したように今回の講義を受けて、食育に対する大いなる可能性を感じることが出来た。本当であれば小・中・高生に対する具体的な食育の授業方法など、島村先生に今回の内容以外にもう少したくさん講義を受けたいところであるが、まずは自ら文献や資料を探して学ぶことによって将来の食育の授業に備えていきたいと思う。その上で質問や相談ごとがあればお世話になりたいと思います。今回はありがとうございました。



Lさん 

1.講義で感じたこと分かったこと、興味を持ったこと
 「輪切りレモンの入ったかき氷のレモンの味」
 これは私がミラクルフルーツのタブレットをなめ終わった後食べたレモンに対しての感想である。
 今回島村先生の講義を聞き、味覚修飾植物の持つ特性や生き物が味覚を感じる仕組みを学び、さらには自分自身が実験をすることで味覚が変化するという事実に驚くばかりである。
 人間の舌には4種類の乳頭が存在し、そのうちの3種類には味蕾と呼ばれる味を電気信号にして受容するという器官が存在する。味蕾は成人では6000〜9000個あるといわれ、舌のほか、上あご、軟口蓋、候頭蓋にも存在する。人間の基本的な味覚は甘味、塩味、酸味、苦味、うま味でありそれぞれの味は舌などに存在する味蕾と鍵と鍵穴の関係のようになっており、特定の味と味蕾が合致すると電気信号として脳に伝えられるのである。
 また乳児は成人よりも味蕾の数が多く約12000個といわれている。ものに問わず何でも口に入れてしまう乳児は己の命を守るために、その多くの味蕾で食物とそれ以外、食物の中でも、お気に入りのものや嫌いなものを班別している。
 上記のような内容は、私は今まで知らなかったことであり、味覚の持つ大切な役割を改めて知ることができたことである。そして普段あまり意識することのない味覚器官の複雑かつ的確な役割は、私たちが進化をし、生きていくために欠かせない機能であると実感させられた講義であった。

2.味覚修飾植物の今後の展開や味覚について知ることの重要性
 味覚修飾植物のほとんどは日本以外の国で栽培されている植物であり、その存在を知っている人は国内ではまだ少ないと思われる。教育現場を除けば、現在は医療現場での活用が主体である。最近では体内での糖の吸収を抑制する力に注目して、ギムネマの葉をブレンドした健康茶などが開発されてきたが、味覚を変化させるという目的ではない。
 今後、味覚修飾植物が注目されるようになったら味覚に対して関心が高まり、食生活や健康に気をつける人が増えると思われる。
 さらに研究が進み、いずれ市場に安定に供給されるようになったとしたら、このような味覚修飾植物を利用したダイエット法なるものが登場するのかもしれない。
 すでに、見た目で楽しむ低カロリースイーツのように肥満問題の対策として使用され始めている。
 また教育現場では、食育教育の教材として味覚修飾植物が利用され舌や味覚の仕組みや、食物をおいしく食べることの大切さなどを子どもに教えている。
 私たちは、自分で栄養をつくりだすことができないので外部から食物を摂取しなくてはならない。その時必ず通過するのが口であり舌の上である。味覚に関して知識を深めてさらに自分の食生活を考えることは、いずれ自分の健康を向上させることにつながると考えられる。そのように考えると、味覚についてきちんと知っておくことは大切である。

3.その他自分の意見・感想
 今回、味覚や味覚修飾植物についての講義は大変勉強になるものであった。私は中学時代の保健体育の授業で、舌の構造について味覚地図で習っていたので今回の講義を聞くまでそれを信じていた。さらに味蕾については詳しく学んだことがなかったので、味を感じる仕組みや、生物にとっての味覚の役割などについては考えたこともなかった。島村先生の話を聞きながら「なるほどな」と何度も目からうろこがはがれた。
 先生が何度か言っていた、「味の変化がわかるということは、健康だということ」の言葉が印象深い。世の中には数え切れないくらいの食物があり、そのどれもが違う味をしている。世界中で様々な料理が作られ、食による国際交流はとても活発に行われている。それらの料理が人々に愛されて食されているのは、食物の持つ味に違いがあり、さらに私たちがその味の違いを認識できるからである。言い換えれば、人々が健康だからそのような様々な料理が登場し、各国特有の食文化を作りあげたのだと言えると考える。
 味覚は普段あまり意識されていないものだが、私たちが生活する上で必要不可欠なものであると気づくことができた。
 味覚修飾植物は今回始めてだったが、味が変化したときの驚きはとても大きかった。現在、理科離れが広がる中で島村先生がこの植物を理科の授業に活用していることは容易に頷ける。子どもたちは、驚きや発見に対して貪欲でかつ俊敏な反応をしてくれる。味が変わることに驚き、味覚について興味を持つ、そして自分の健康や食事について考えるようになると思われる。理科離れと食育という、現代の課題に対して味覚修飾植物はとても有効である。
 今回の体験は貴重なものだと認識し、私自身の生活をはじめ将来教師として子どもの前に立ったとき、食育や健康の考え方を指導するときに生かしていきたいと考える。



Mさん 

 島村先生の講義で私が最も興味を持った点は、人間にとっての味覚が「経験と学習」であるとおっしゃっていたことである。私は自分の研究テーマとして、社会学的な相互行為を学んでいる。そこでは人間の認識について、単なる脳科学的な意味においての認識だけではなく、人間が様々な人、物、事象と関わっていくうちにそれらが互いに影響し合い、その人の認識も変わっていくと考える。「見る」という単純な行為一つとっても、人間は視界に入っているものをすべて把握できているわけではなく、相互行為によってその人の世界認識は変容し、認識していない(できない)ものやことが生じると考える。本講義で扱った「味覚」についても同様のことが考えられる。島村氏が人にとってのおいしさとして、文化に合致したおいしさを取り上げていたのがその表れであると考えた。味覚と「経験と学習」の関係、つまり味覚への後天的、環境的な影響について食育も視野に入れて考えてみたい。
 「食は三代」という言葉があるように、昔から鋭敏な味覚を持っているのは一部の選ばれた人間であると思われていたようである。しかし、本講義でもおっしゃっていたように、ソムリエや料理人といったいわゆる「味のプロ」達も、味を感じるセンサーである味蕾の数が多いわけではないという。彼らが優れているのは、味の電気信号の処理能力であるという。そう考えると、前述の言葉も、血筋による特殊能力の遺伝を示しているのではなく、様々な味覚に接する機会が多い家庭の子女が、豊かな味覚を持つようになると捉えるべきであろう。味覚が環境からの影響を大きく受けていると感じさせる言葉である。子どもの味覚も同様に、生きていく上での種々の経験によって培われていくのであれば、より豊かな感覚を養ってもらいたいと教師を志している立場からは素直に思うわけである。
 その意味では、環境によって、子どもの味覚はどう転ぶか分からないとも言える。2004年に公開され話題となったSuper Size meという映画がある。30日間食事をマクドナルドだけで行った、その過程を収録したドキュメンタリー映画である。私は原作本を読んだのだが、その中でアメリカの小学校の食生活について注目すべきことが書かれていた。アメリカの小学校では、日本のような栄養バランスを考慮に入れた給食システムは基本的には存在しない。その代わりに、いわゆる大手の世界的なファーストフードチェーンが校内の飲食スペースに軒を連ねているという。子どもたちは普段外食するように、ハンバーガーやフライドポテトやピザをコーラで流し込んでいるというのだ。そればかりか、上記のようなファーストフードチェーンを始め、加工食品メーカー、菓子メーカー、飲料品メーカー等がこぞって「食育」と称し、簡単な講義と共に、子どもたちに自社製品を無料配布して回っているそうなのだ。私から言わせれば、これは味覚の「洗脳」である。「三つ子の魂百まで」ではないけれども、小さい頃に慣れ親しんだ味というものは、大人になっても恋しいものである。ましてや、本講義でも言われていた、脂や香辛料、人工甘味料やうまみ調味料といった添加物の「薬理学的なおいしさ」を子どもに与えるというのは、乱暴な言い方かもしれないが、明らかに子どもを自分たちの商品の「中毒」にしてしまおう、というマーケティング的な意図しか見えない。これは子どもの豊かな味覚を育むという、本来の「食育」の目的とはかけ離れたものである。上記の例に限らず、味覚という「感覚」を扱う以上、画一的な良い感覚というものを教え込むという方法には私は賛成しかねる。例えそれが無農薬で、ナチュラルで、取れたてで、というおいしさだったとしても、である。「食育」で育てるべきは、味を感じるセンサーの感度であり、正しい味ではない。受験勉強のとき父が差し入れてくれた夜食のおいしさ、部活動の帰りに友達と買い食いしたお菓子のおいしさ、好きな人と食べる食事のおいしさがある。味覚の育成には科学的な栄養成分からのアプローチだけではなく、このような文化的・社会的側面からもアプローチが可能ではないだろうか。
 今回、ミラクルフルーツやギムネマを実際に体験して想起したのは、「これを子どもたちと一緒にやったら、子どもの味覚に対する意識が変わるだろうな」ということだった。「味わう」という言葉があるように、食事でも、急いで慌ただしく料理を胃に流し込むのと、家族や友人とゆったりと談笑しながら料理を味わうのとでは、同じ料理を食べるにしても全く感じ方が異なる。味覚が変化する経験した子どもは、おそらくその日の夕食の味が、それまでの日々の食事と全く違うものになるであろう。それは舌に、つまり味覚に意識が向いているからであり、意識を向かせることで、様々な食事をする際に彼ら/彼女らの味覚の新しい扉がどんどんと開いていくのではないかと考える。そのような複雑な舌、味のグラデーションを感じとれる子どもを育てるのが、私の考える「食育」であるし、その意味で味覚修飾植物という誠に不思議な植物は子どもに味覚への意識を向かわせる契機としてこれ以上のものはないように思われる。単純なようだが、「味覚への意識づけ」が本講義を通じて、私が将来教師になるものとして得た知見である。工夫次第で、日々の給食でも様々な実践ができそうである。このようなきっかけとなる講義をして頂いた島村氏に感謝して本レポートを終えたい。



Nさん 

はじめに
 今回の講義を受けてみて、「味覚とは、必要な栄養素と危険物を見分けるシグナルである」、「その生物にとって、必要な食物を美味しく感じるようになっている」という話が、私はとても興味深く感じたので、講義で紹介して頂いたコアラやライオン以外の動物はどうなのか気になった。コアラは外敵から自分の身を守るため、他の動物が寄り付かないユーカリの森に住んでいる。ユーカリの毒を解毒する能力を持っているのだ。他にも同じような動物がいると思ったので、調べてみようと思った。例えば、ヒメコンドルやハイエナは、死んだ動物の腐った肉を好んで食べる。彼らは、腐敗菌の出す毒素を解毒する強い免疫力を備えている。他の動物は避けて通る屍肉をも食べることができるということは、獲物が少ないサバンナを生き抜くのに必要な能力であると言える。ただ、特に外敵に狙われる心配もなく、スーパーやレストランで容易に安全な食品を入手できる私たちにとって、この能力は不要であり、遠い話である。
 ここでは、繁殖が容易で、薬物や実験に対して人体と似たような症状を出す、マウスの味覚について述べ、そこから人間の味覚と絡めて「美味しさ」について、考察してみることとする。

1.マウスとコク
 マウスは新薬の研究などに多用されることで有名な動物だが、彼らは自分に必要なカロリーを摂取することができたら、食べるのをやめてしまう。よって、実験用の固形飼料での飼育だと、人間のような肥満体をつくるのは困難である。しかし、肥満体を対象にする実験もあるため、その需要は多い。では、どのように太ったマウスをつくっているのだろうか。
 その答は「コク」にある。実験用の固形飼料の代わりにチーズ、ハム、ソーセージ、ポテトチップス、砂糖水など、コクがあって人間にとって美味しそうなものを並べると、マウスもつい食べ過ぎてしまう。この方法を「カフェテリア給餌法」または「スーパーマーケット給餌法」という。
 マウスが、コクを好むということは「コクの有無の違いが分かる動物」だと言える。例えば、マウスはビールよりもコクのある100%モルトタイプ(麦汁とポップのみでつくられたビール)を好む。人間ならば、好みはそれぞれだが、マウスの場合は統一してモルトタイプを支持する。このことは実験によって確認されている事実である。

2.「コク」とは何か?
 マウスについて調べているうちに、マウスの嗜好と「コク」に関係性があることが判明したが、そもそも「コク」とは何を指すのか疑問に思った。『コクと旨味の秘密』によると、まだコクという感覚について完全には明らかになっていないが、大阪大学大学院人間科学研究科の山本隆教授は、コクには「空間的な拡がり」と「時間的な拡がり」の両方が存在していると表現している。
 「空間的拡がり」とは、口の中全体を動員したおいしさの拡がりのこと。単に味覚だけでなく、食材それぞれの歯触りや、舌触り、軟口蓋での感覚など、物理的な感触も含まれる。「時間的な拡がり」とは、口に食べ物を運んだ後の味わいの変化のこと。味わいは一瞬ではなく、口の中に入れた直後の素早い味、後半の味わいや余韻など、時間差が存在している。
 これら2つの拡がりの調和がとれると、味に「厚み」が生まれ、それを私たちはコクと呼んでいるという。

3.舌の神経と空間的拡がり
 味覚の空間的拡がりは、舌にある味細胞の組織構造の違いで、ある程度説明することが可能である。人間の舌は、先と奥の方では異なった神経系につながっている。味の感じ方も部位によって敏感な差が存在している。(但し、完全分離はしていないため、講義中に島村先生がおっしゃっていたように、味覚地図ができるほど単純なものではない)舌の前半部分にある茸状乳頭の味蕾の味細胞は主に鼓索神経(こさくしんけい)につながっている。主に甘みや塩味などはこの神経から速やかに伝わる。また、舌の奥にある有郭乳頭と葉状乳頭の味細胞は舌咽神経(ぜついんしんけい)につながっている。これは主にうま味や油のおいしさを敏感に感じ取る。この、両方の神経を刺激すること(つまり舌全体で味わうこと)が「空間的拡がり」を生む一つの理由とされる。私は子どものころ、よく噛んでゆっくり食べるよう躾けられたが、これは、食べ物のコクを引き出すため、理にかなったものである。(虫歯予防・肥満予防にも効果的らしい)

4.五感と雰囲気
 食べ物を「美味しい」と感じる要因に味・食感と並び、風味が挙げられる。口に近い鼻腔領域で感じる風味は食べ物の美味しさに大きく関係している。味覚と触覚に、嗅覚が参入することで、味わいの空間的・時間的拡がりが一層ダイナミックになる。
 それから、講義にも説明があったように、彩りや形、色など、視覚的に楽しんだり、調理音や噛む音など、聴覚も食事を楽しむ上では、重要であると思う。美味しさとは、五感を総合的に発揮させて初めて伝わる感覚である。また、家族や友達と会話しながら食べるのと、独りで寂しく食べるのでは、同じ料理でも美味しさが大きく違うように感じられることから、「雰囲気」も食事の価値を決める大きな一因であると私は思う。経費は一杯数十円のコーヒーも、夜景の綺麗なレストランでは800円とれるという話も聞いたことがある。

5.脳と味覚
 若いころは焼き肉(カルビ)が大好きだったけど、年を取ったら、ホルモン焼きや魚ばかり食べるようになったという話を時々耳にする。これは、年齢を重ねることによって必要な栄養素が変わったからではないだろうか。嗜好を変える命令は脳から発信されている。
 味覚に個人差があること(味覚異常は除く)も、関係があるのかもしれない。一般的には女性の方が甘党だと言われるが、糖や油脂は子どもを産むため、脂肪をつけるのに必要な栄養素である。また、頭を使うと甘いものが食べたくなるという人もいる。血中の糖分濃度が減少すると、脳が空腹信号を送るのだという。
 ひとくちに「味覚異常といっても、大きく分けて味覚器の障害、情報伝達の障害、中枢神経の障害が挙げられ、このことからも、脳と味覚には密接な関係があると言える。ミラクルフルーツとギムネマの例では、味覚器の機能を一時的に狂わせ、一種の味覚異常を生みだしていたようだが、今後、脳科学と技術が進歩したら、脳から味覚異常を治せる時代がくるだろう。

6.食事を楽しむために
 健康体の私たちは、ミラクルフルーツやギムネマで味覚の変化をただ面白がるだけだったが、糖尿を患っている人のための研究など、その利用価値は計り知れないものであることを知り、素晴らしいことであると思った。近い未来、必要な栄養素やエネルギーを、全てタブレットや薬品のみで、簡単に補給できる時代が来るかもしれない。しかし、食べ物本来の味や食感を楽しむことの重要性も忘れてはならない。
今回、味覚や脳科学の文献を読んでみて、私たちが食べ物を「美味しい」と感じるのには、単純に味覚だけでなく、五感をフル活用することが有効であると感じた。苦手な食材でも、組み合わせや調理方法を変えるだけで、食べられるという子どももいる。特に、私たちは教職を目指しており、成長期である子どもたちと関わる機会も多いのだから、「ニンジン嫌いの子どもの対処法」や、「子どもにとって必要な栄養と有効な摂取方法」などについて勉強しようと思った。なんでもかんでも薬に頼るのではなく、まずは食生活の改善(食べ方、調理方法、雰囲気)を試みることも大事である。



Oさん 

 人間が生きる楽しみのひとつに「食べること」があります。美味しいものや、空腹時に何かを食べたときの幸せ感や満足感はとてもいいものです。そもそも、食欲は睡眠欲・性欲と共に人間の三大欲求と俗に言われる欲求に含まれているのだから、食べることが人間存在の根源的な部分に関わっているのは間違いない。普段なにげなく物を飲食している私ですが、今回の島村光治先生の講演によって人間にとっての「食べること」を考えさせられました。驚きの効果をもたらしたギムネマとミラクルフルーツについては後で述べることにして、まずは食と味覚について私が印象深く感じたことなどを書き記したいと思います。
失礼な話しながら、今回の講演は『味覚が変わった!すごい!』というだけのものだと表題から邪推していたので、講演の折々に触れて先生が話された食事と人間の関わり方は興味深いものでした。話として面白かったのは、食事の好き嫌いのメカニズムを説いたところで、その原因のひとつに「雰囲気」があるという点。親や教師に強制されて食べさせられたり、怒られながら食事をしたことでその食品を嫌いになってしまう…。食事をすることは舌と食品の接触による単純な刺激だと思っていたので、食事時の雰囲気といった視覚・聴覚的な要素が好き嫌いに関わってくるというのをおもしろく思い、同時に食事をするということは人間の総合的な行為であるのだと感じました。バーベキューは野外の開放的な雰囲気のもと仲間たちとワイワイやりながら食べるから、食べているものが粗末な物であっても美味しく感じる、というのも多いに納得しました。また、ステーキ屋の鉄板ジュー、は五感に訴えるステーキ屋の演出という話も興味深かったです。確かにあのように出されたものを食べると美味しく感じます。してみると、食事は半分以上とはいかないまでも、かなりの部分を味覚以外の感覚に負うていることを考えさせられます。それだけ人間の諸感覚に結びついた食事が、各文化で多種多彩に現れ出るのも当然のことでしょう。土地と密着に関わる食事は、文化を写し出す鏡とも言えるかもしれません。そのように本来的にはその土地でしか食べられない料理というものがあり、それが文化の特質でもあったはずですが、このグルーバル化の時代が人間と料理との関係性を少なからず変えたと感じています。我々は日本にいながら世界中の料理を口にすることが出来ます。そんな飽食の時代だからこそ、我々の世代は料理のもつ地域性やその背景などに無頓着になってはいないかという懸念を覚えるのです。料理というある文化の大成物を文字通り舌でしか味わうことしかしておらず、料理の楽しみ方を狭めてはいないかと思うのです。そんなことを思うのは、私自身外国に暮らしていた時期があり、長い海外生活を思ってか友人がお土産に持ってきてくれた日本酒を飲んだとき、それが(郷愁のおいしさはありましたが)日本で飲む日本酒のようには美味しくは感じなかったという経験をしているからです。逆にその国でワインを飲むとき、それがどんな安ワインであってもたまらなく美味しく感じていたものが、日本に帰ってきてから同一のブランドを(高額を払ってまで)飲んでも、さして美味しく感じないのです。これは私見ですが、おそらくはその国の空気感、湿度、一緒に食べる料理によってそれらのお酒の味も感じ方が変わるのだと思います。だから、日本で各国の料理を食べるとき、料理を透かしてその国や地域を思います。どんな気候で、どんな人々が、どんな暮らしをしているのか…そんなちょっとしたことも、私には食事時の楽しみとなって目の前の料理を美味しくするのです。
 話がずいぶんとそれてしまいました。ただ本講演を聞いて料理の総合性というものに強く惹かれてこんな脱線をしてしまいました。ここからは、驚きの味覚修飾植物についての感想を書きたいと思います。講演の最初にかじったギムネマは、その後のミラクルフルーツよりも個人的にはショッキングなものでした。葡萄のアメがプラスチックの玉のように無味になってしまったことも衝撃的でしたが、ショッキングだったのはむしろその後に先生の言われた「これは味覚障害を疑似体験しているのと同じです」という言葉です。味覚障害の若者が増えているということは私も話に聞いては知っていました。しかしそれが一体どのようなものか、イメージするのは難しいことです。体感覚に関わる差異は人間の感情を理解するのと同じくらいに難しいものだと思います。それをこのような形で知ることになり、味覚障害の一端を理解したと思います。みんなで食べる食事が、複数人で味覚を共有することでその雰囲気や場が出来ていくものだとしたら、味覚障害の人はどれだけ辛い思いを日常的にしていることだろうか。そんなことを思いました。ミラクルフルーツのタブレットを口にした後のレモンの甘さにも驚かされましたが、それよりもその応用に感嘆させられました。糖尿病や生活習慣病の患者さんにどれだけの喜びを届けることに成功したのでしょう。科学の生み出す個人の幸せということについても考えさせられました。味覚修飾植物を体感してみて、一番の驚きはと言えば人間の味覚の不安定さです。1分葉をかじったり、タブレットをなめるだけで甘いものを感じなくなったり、感じやすくなったり…。この人間の感覚への疑いが生まれたところでひとつの疑問も生じました。このような味覚修飾植物の研究は、欧米でも盛んなのでしょうか?人間の感覚を信じないところ(デカルトの哲学以来)から始まっている西洋文化をバックボーンに持つ研究者たちが、こういった味覚の変化をポジティブに捉えて研究が盛んなのか、それとも反動により感覚をネガティブに捉えて研究が遅れているのか、少し興味があります。料理の長い伝統のあるヨーロッパでは味覚を疑いきれず研究の発展が遅れ、新しい国であるアメリカでは研究は盛んであると勝手に思ったのですがいかがでしょうか。
 普段あまり意識しない味覚について、いろいろ考えさせられるきっかけを今講演からいただけたことをうれしく思います。先生もおっしゃりましたが、「究極的には全ての人に美味しい/不味いというものは存在しない。」まったくその通りだと思います。僕の好きな言葉に「蓼食う虫も好き好き」というものがありますが、比喩ではなく実際的な意味としても今後は考えてみたいと思います。味覚というものはその人の個性まで表出させるもので、その意味では一人一人違った子どもたちを相手にする教育と同じパースペクティブのもとにあると感じました。今後、教職に携わる(予定)の者として、味覚について先生の受け売りだけでなく、自分の言葉で少しは語れるようになりたいと思いました。興味深い講演をありがとうございました。



Pさん 

1.講義で感じたこと、分かったこと、興味を持ったこと
 私は、今回の講義で初めてギムネマとミラクルフルーツを食べました。ギムネマを食べると飴の味が感じなくなりました。もともと飴は甘いものだという認識があるので味覚を感じなくなったときには驚きともどかしさを感じました。人間は味覚を感じなくなると、ストレスを感じるということを肌で感じました。また、ミラクルフルーツを食べるとレモンが甘く感じて驚きました。レモンをお代わりしたいという気持ちが分かりました。また、人間の舌には味を感じる要素として成人には6000〜9000個の味蕾があることを知り、驚きと共に自分の体はよくできていると感心しました。
 先生の講演のスタイルは一人ひとりに試食を体験してもらうということで大変有意義のあることだと思います。もし、私が教員になったときに、今度は私の児童生徒に対しご講演をして頂きたいと思いました。そこでは、児童生徒が驚きや発見をして味覚の重要性を感じとることと思います。また、味覚体験を通して理科(科学)に興味を持ってくれると思います。

2.味覚修飾植物の今後の展開や味覚について知ることの重要性
 味覚修飾植物の今後として予想されることは、やはり医療面において活躍すると思います。医療で活用することで、レジュメに載せてあるように糖尿病患者を救うことができるでしょう。そのためには、既存の味覚修飾植物の改良やまだ発見されていない植物の確認が急がれることでしょう。
 味覚の重要性としては、味覚を感じなければ食べ物を美味しく感じないことなので、食の楽しみを味わえないことを意味すると思います。私は今、一人暮らしをしています。そのため、食生活に乱れがあります。例えば、肉中心の食生活になり、魚や野菜をほとんど食べていません。今回の体験から味覚を感じないことの怖さを知ったので、味覚障害にならないためにも亜鉛を摂取していくようにします。また、栄養にも配慮した料理を作っていいこうと思います。

3.その他自分の意見・感想
 当日配布されたレジュメの「驚きの味覚体験〜ミラクルフルーツ〜」の「4.人にとってのおいしさとは」の「B情報に基づくおいしさ」を見て、講演後に読んだ本に、食品偽装されている食べ物でも美味しいと感じることがあると載っていたので、島村先生はこのことを言っていたのだと思いました。食品偽装された食品を美味しく感じるのは「プラシーボ(偽薬)効果」の存在があり、脳が認知エラーを起こした結果だと書いてありました 。そして「プラシーボ効果」は神経経済学という分野で研究されているようです。私は大学院で経済学を研究しているので、味覚など色々な事象を経済学で分析できることを知り経済学の奥深さを感じました。また、先生は高校生の頃から味覚修飾植物の研究をしており、自分もその研究精神を見習いたいと思いました。



Qさん 

 他の授業が入っていたため、島村先生の講義に参加できず非常に残念でした。しかし、いただいたプリントを拝見した中でも新しい発見がたくさんあり、とても興味深かったです。
 その中で最も印象深かったのが、生命維持に対する味覚の役割です。コアラやライオンの例から、生きていく上で必要であるものをおいしく感じるという能力が味覚として備わっていることを知りました。このことは、生物は生命維持のために味覚を本能に支配されていると言えると思います。人間の味覚もこの本能に基づいて構成されていますが、同時に『経験と学習』による味覚を有しています。知識や情報をもっていない赤ちゃんが大量の味蕾によって味覚を支配されている状態から、成長するにつれて個々人によって食事に嗜好を持つようになるというのは、人間の大きな喜びの一つであり、その反面、味覚を自分自身によって育んでいくという難しさがあるのだと思いました。プリントで言及されている、「@生理的欲求に基づくおいしさ」は本能的な生命維持の役割だと思いますが、それ以降の「A文化に合致したおいしさ」「B情報に基づくおいしさ」「C薬理学的なおいしさ」は、人間の生活習慣や嗜好に大きく影響を受けるものだと思います。私はこの点から、人間の成長過程における味覚形成のための食育の重要性を強く感じ、現代の子どもの味覚傾向と食育について考えていきたいと思います。
 まず、現代の子どもを取り巻く食事環境について言及したいと思います。かつて成人病と呼ばれた糖尿病などの慢性疾患も、多くの子どもにその症状がみられ、生活習慣病と名前を変えています。坂本氏は、4〜5歳の保育園、幼稚園の子どもを対象に検診を行い、その結果「5歳から急に肥満や高脂血症のリスクをもった子どもが増加する」ことから、食習慣はできるだけ幼児期に確立させる必要性があるとしています。
 また、石原氏はキレやすい子どもの食生活の特徴として、家庭での孤食やバラバラ食(家族がバラバラの時間帯にバラバラの献立を食べること)を挙げています。また、遠足にコンビニ弁当を持ってくるという事例をあげ、子どもの食生活におけるコミュニケーションの欠乏を危惧しています。食育は何を食べるかという選択能力や味覚的喜びだけではなく、子どもに食事を楽しいものとしてとらえさせる環境づくりや、食事場面でのコミュニケーションが重要であるということを示しています。私自身も、緊張しているときや心配事があるとき、一人で寂しく食事をするとき等は、どんなにおいしいものであっても全く味覚的喜びがなく、食事の記憶も残りません。寂しい環境では食事に関心をもたなくなり、十分な食事量や栄養を摂取できなくなります。食育において、食事のイメージを家庭でのコミュニケーションによる温かみや、学校での楽しい経験と結びつけることは非常に重要です。子どもが食事を価値ある重要なものとして肯定的にとらえ、自分の味覚について興味をもち、食事選択に留意するよう方向付けることが非常に重要であると思います。また、食育に力を入れている国として筆頭にあげられるフランスでは、10月の第3週目に味覚教育を目的とした「味覚の週間」が開催され、学校の教室において料理の専門家が味覚の基礎について子どもに教えるということが行われています。日本においても食育への注目が高まっていますが、今後ますますの発展が必要と考えられます。
 そして食育の発展の一環として、今回学んだ味覚修飾植物による学習がとても有効だと思います。私自身初めて味覚修飾植物を体験しましたが、味が変化する面白みが味わえると同時に、食べ物本来の味を感じることができない、頭で記憶している味を舌で感じることができないという寂しさを感じました。食育の場面で味覚修飾植物を使用する場合、単に「味が変わって面白い」「嫌いな食べ物も甘くなって食べ易い」などの肯定的な面だけではなく、味覚障害の体験としてとらえ、「なぜ味覚が重要なのか」について子ども自身に十分考えさせることが重要であると思います。ミラクルフルーツは酸っぱいものを甘くしますが、酸っぱさが認識できないということは腐敗物や未熟の果実が分からず時には生命の危険も伴うということに言及する必要があると思います。味覚障害は食事の喜びを奪うだけではなく、生命の危機にもつながるということを認識させ、子どもが自分の味覚について興味をもち食生活を省みるきっかけとなる活動が必要だと思います。



Rさん 

 今回の講義で学んだことは初めて知ることばかりだったが、私は特に動物と人間の味覚の違いや、味覚障害についてのことが印象に残っている。講義では、草食獣は消化しにくい植物で生きていくために体の仕組みを変化させ、肉食獣は草食獣を食べることで栄養を取り、獲物を食べる順番はフルコースのように決まっているとあった。つまり野生で暮らす動物たちは、自分たちの生きるフィールドで足りないものがあったとしても、それを進化や発達という長い時間をかけて適応していったといえるだろう。動物の本能は「生きる」ということであり、そこから全く外れず、ぶれることなく進化し生きているのだと考えられる。野生動物は満腹だとそれ以上食べないということも、少しでも「生きる」ための本能であるのではないだろうか。対して人間は、動物たちと同じ年月をかけて進化してきたのにも関わらず、「生きるために食べる」ということから少々逸脱しているように感じられる。人間には別腹があるということも、その例であろう。
 しかしながら人間はその進化において、「生きるための味覚(食事)」から「より(楽しく、充実して)生きるための味覚(食事)」という方向に変化しているように感じる。甘いもの、辛いもの、酸っぱいものなど、現代では食べたいものが簡単に手に入るようになり、あらゆる食材を口にして多様な味覚を感じることが可能になってきた。このように豊かな味が蔓延する中、ソムリエやグルメリポーター、味覚審査員などの「味覚」を専門とした職業が現われているのも、より味覚を楽しむことや、そのことによってより食事を楽しむということに世論が興味・関心を抱き始めているからなのではないだろうか。研究という分野ではまだマイノリティなのかもしれないが、どのような状況下でもより食事を楽しめるような目的で開発が進んでいる非常食や宇宙食、また病院食の改善など、味覚を感じることの大切さが重要視されて始めているように感じている。
 ただ現代では、その「味覚」を感じることの出来ない味覚障害が問題となっている。その原因は加工食品やファーストフード、清涼飲料水などの添加物や偏った食事、病気などであり、その多くは亜鉛不足によって引き起こされる。私自身も、偏食や添加物の多い食品の過剰摂取が原因で味覚障害となり、さらには消しゴムや砂など食べ物でないものを無性に食べたくなってしまうこともあるという話を聞いたことがある。文献などの正確な情報ではないので定かではないが、上記のようなことが原因でミネラル、特に鉄分が不足するためそのようなものを食べたくなる傾向があるという。
 いずれにしても、味覚障害そのものよりも、味覚障害になってしまわないためにはどうすれば良いかということが重要であると考えられる。特に、添加物や偏食については、それらのものに頼らざるを得ない環境下におかれてしまうことが問題なのではないだろうか。非常に便利な世の中になった今、わざわざ家事をしなくても容易に食事をすることができるが、それらのものに頼り切ってしまうのではなく、また食べたいものを食べたいだけ食べるのではなく、栄養のバランスや「食事や味を楽しむ」ということを考慮した食事をするべきであると感じている。食育の必要性が叫ばれているのも、こういった現状もあるためではないだろうか。
 今回の講義がきっかけで、上記のようなことだけではなく、味覚修飾植物の存在や利用方法なども学ぶことができ、味覚に対する関心も高まった。また今まで食事をする時は、ただ漠然と「おいしい」と感じながら食べていたが、そのように味を正常に感知できるのは、自分の健康な体があってこそだと改めて実感している。「味を感じること」に敏感になっている現代だからこそ、これからもその気持ちを忘れずに、一回一回の食事を大切にしたいと思う。



Sさん 

 以前、私はミラクルフルーツの名称を聞いたことがあった。酸っぱい食べ物が甘くなると聞いた。「そんな事(物)があるものか。」そう心の中でつぶやいてしまった。しかし5月19日の講義で根本的に覆された。しかも、味を感じるしくみから詳細にわたって勉強させていただいたからである。経験上、辛さは牛乳を飲めば軽減できると考えていたが、実際辛さは味覚でないことが分かった。辛さは体性や感覚である。確かに、「辛い」という味覚ではなく感覚であることに気づく。ミラクルフルーツやギムネマで驚く前に驚いてしまった。私は講義を通して驚いてしまう事や深くうなずいてしまう事が多かった。どうして味を感じとる事ができるのかという疑問を深く追求した事がない。私は牛タンが好物であるがなぜおいしいのであろうかと深く考えた事はあるがその牛タンを味わっている舌については考えた事が無かった。なんと情けない話であろうか。舌には味を判別する鍵穴のようになっており舌の細胞には役割があるというのだ。そして、味蕾という舌の細胞が味覚を感じている。味蕾は上顎と喉にも存在していると分かった。講義を終えて振り返る事によって疑問が残った。それは、体調不良の鼻づまりの際は味覚が鈍ってしまうがそれは味蕾に異常が起きているからなのであろうか。それとも鼻腔のつまりによる味覚の鈍りのためであるのか疑問に思った。
 人にとって生命の維持が味覚を生んだという事も分かった。危険物質を判断するためである。過去にさかのぼって考えてみた。ジャングルの中、始めて見るきれいな木の味。食べてみるが酸味が強すぎて吐き出してしまう。生命、もしくは健康に危険が迫っていると味覚が判断したのだ。もしかすると食べる事ができるのかもしれないが、何かあってからでは遅い。味覚の重要性を認識できる想定である。うま味を私は感じ取ることができる。お肉は基本的に塩やそのまま食べる事がある。うま味が出るから味付けは不要である。日本人が発見したというのは何か分かる気がする。日本人は食材を生かす料理の仕方を把握しているためか食材に対する感性が高いような気がする。うま味という発見は先にも後にも日本人の可能性があるのではないか。食文化を大切にしている事との繋がりがあると考えている。
 好き嫌いのメカニズムで考えたのが、子どもたちに嫌いな物をどう勧めるかということである。子どもの時には食べられない物はいくつかあった。私も現在に至って好物になった物はある。強制的に食べさせられた事はなく好意を抱くようになってから食べた。そして、その場の雰囲気が食べるきっかけになったと考えられる。調理方法であったり、食事の楽しさであったり自分が食べられるような状況になった。このことは教師になってからも活用できると考えている。バーベキューのように外で食べる事や、他のクラスの人と食べる機会など食事を楽しくする方法はいくつも考えられる。無理強いはさせなくてもいつかは食べられるようになるという気持ちを持って子どもたちに食事をしてもらいたいと考えている。また、今回のミラクルフルーツなどを利用して味覚についての勉強や体験を子どもの時から経験することによって味覚や食文化を学ぶ機会になる。外来食が増える昨今、私たちは食文化についてもう一度学ばなければならないのかもしれない。
 最後にミラクルフルーツとギムネマを体験した感想を述べる。両方とも味は良い方で、舌が刺激されるのかと考えていたが全く自然に食べる事ができた。もちろん、味蕾にいたずらをされているという実感はなかった。ギムネマを食べた後に、あめとチョコレートを食べたが甘味がなくなっていて残念な気持ちになった。あまいのが苦手な方は、これを利用し食べなくてはいけない状況を乗り越えられるではないでしょうか。例えば、チョコレートが苦手な男性は、バレンタインデーにたくさんもらって辛いおもいをする可能性があるがギムネマを持っていれば、しっかりと女性の気持ちを受け止めることができる。自宅で甘党の父にギムネマを食べ甘い物を食べてもらったがショックな様子を隠しきれなかったようであった。話を戻すが、ミラクルフルーツは講義でも出た事だが、病人に有効だと考えられる。また、ビタミン不足の食改善に効果が期待できる。私は、ビタミン摂取には気を配っており現在はサプリメントで補っている。しかし、食べた感覚がないために楽しさがない。フルーツを食べるのは好きではあるがビタミンを含んだ食材は、酸味が強くて購入する事をためらってしまう。フルーツの他にも酸味が強い食材はあるが、スーパーなどで酸味が強い食材の横にミラクルフルーツが一緒に並んでいたら、迷わず購入する。しかも、タブレット錠であるため保存ができる。楽しさや興味上で利用していたミラクルフルーツやギムネマが食事をする際の手助けをする日常品として使用する日が近いのかもしれない。さらなる研究と実践で存在自体が広がり、日ごろの生活で使用できる日を願っている。そして、味覚について知識を得た事で食事をする際は味覚についても考えられる事が喜びである。



Tさん 

1.ミラクルフルーツ、ギムネマを通して伝わったこと
 この講義を受講するまで、「味覚」もっと大ざっぱにいえば「味」に対して深く興味を持ったことがなかった。また、授業での味覚地図はあるものだと思っていたし、とにかく新鮮さをものすごく感じた講義であった。私が、この講義を聞いて最も感じたことは、島村先生は「ミラクルフルーツとギムネマでの味覚体験」を伝えたいのではなく、それらを通して「味覚の感じ方、食の大切さ」などを私たちに伝えたいのだろうと感じた。日本は、便利になりすぎてしまったのだろうか。コンビニエンスストアーやファミリーレストラン、ファーストフードなど、これらのお店で大抵のものは食べることができる。しかし、健康食思考が強くなってきて改善されつつあるものの、栄養素が偏っているといえる。この偏りにより、亜鉛の摂取が難しくなり味覚障害に陥る可能性もある。味覚障害になれば、多くの人はその障害に気付くことはなく、また、対処法もわからなく「食べること」に対して消極的になってしまうかもしれない。そう考えると「食」と「味覚」は密接に繋がっており、味覚地図がある!などの間違った知識を詰め込むのではなく、舌の構造から考える味覚について学校教育で取り入れるのは大切であると感じた。その際に「ミラクルフルーツやギムネマでの味覚体験」を行うと、「味覚の感じ方、食意識」がただの知識ではなく、実体験を通しているので生活と非常に結びついた知識となり、子どもたちの生活上の知識、あるいは知恵となるだろう。私は、子どもたちの知識は生活と強く結びつくことが大切であると考える。

2、 子どもへの「味覚教育」の重要性
 講義でピーマンが嫌いな子が多いのは、ピーマンの苦味を毒シグナルとして頭の中に取り入れてしまうからだと述べていた。これは、もしかしたら子どもにとって極自然な現象なのかもしれない。ピーマンに好き嫌いがあること自体は、子どもにとって影響をさほどもたらすとは考えられないが、味覚を意識して食を考えることは大いに意味があると思う。
 近年、朝ごはんが簡素化していることが問題になっている。小学生低学年の朝ごはんが、パンケーキ、ヨーグルトのみなどの家庭も見受けられる。これらの食から感じ取られる味覚は限られており、そのほとんどの児童・親が味覚など意識せずに「朝ごはん」として済ませているだろう。先ほども述べたように、味覚は食と大きく関係しており味覚を意識することにより食も変化してくるだろう。レモンは酸っぱいではなく、レモンのクエン酸が酸っぱいのだ。そのクエン酸は、エネルギー代謝を活発化し、疲労回復に一役買っている。だから、夏や運動後はレモンは効果的である。と、味覚を意識することにより、食への興味が湧き、家庭での食も変化してくるのではないだろうか。この観点から考えても、私は子どもたちの偏食、または好き嫌いによる栄養素の偏りなどの問題点を「味覚教育」により改革を起こせるのではないだろうか。食は最も生活と関わっているので、机上での知識のみにならず実践可能であり、自分自身を改善できる点でも学校教育でさらに推進していくべきであると私は考える。



Uさん 

 私は学部生時代、地理学を専攻していたことで世界の食に関する講義にて一度ミラクルフルーツを経験していたために、講義内容に関してというよりも授業方法および展開に着目しながら講義を聴講していた。その中でも、私自身が感じたことは、@学生を夢中にさせる授業には、一つのストーリーが描かれている。そして、本時のねらいを理解させるために、A教材の組み立てや知的な体験(作業)を取り入れるタイミングを計るB中心となる学習問題や発問を学生に考えさせる時間(機会)を提供するという、工夫が施されていたということである。このように感懐を抱いた背景は、下記のとおりである。
 まず導入において島村先生は、学生に飴が甘いことを確認させた後、ギムネマの葉の効果が舌全体に行き渡るよう擦るよう指示をした。そして再び飴を舐めさせることで、苦味を感じるという一種の味覚障害を引き起こすことを体験させた。ここでは、ギムネマの葉を食べることで、なぜ人間の舌は苦味という味を感じたのか。まさに、知的な体験をさせた上で学生に、問題意識を高めさせていた。
 次いで、展開において人間の舌にある味蕾が味の判別をしており、鍵(味)と鍵穴(味蕾)が合致することで脳にその信号が伝わるという、導入における体験の問題に対する解説を行っていくのだが、私はこの場面に大変驚いたと共に、本講義のポイントではないだろうかと考えるものがあった。というのも、私が予測していた授業展開(ギムネマの葉を食し、飴を舐める作業から甘味を感じないことに触れさせる。そして、すぐさまミラクルフルーツを食し、レモン等の酸味を介入させ甘味を感じることで味覚の変化を学生に理解させる)と大きく異なっていたため、疑問に思っていた。しかし、講義終了後に自分自身がなぜ、本講義において興味・関心を抱いていたのかを改めて考えてみた時、視覚教材等から問題を考え解決する一般的な講義とは違い、「体験→問題意識→問題解決→体験→まとめ」というストーリーが存在していると想到し、体験(ギムネマの葉)と体験(ミラクルフルーツ)の間に施されていた工夫(ギムネマの葉とミラクルフルーツの味覚修飾部質としての機能を混同させない)こそが、本時のねらいを明確にかつ学生の理解を一層深めていたと思われる。
 以上のように私は、授業方法に着目しながら聴講していたのだが、では実際に自分自身が授業をすると仮定した場合、学生の興味・関心を引き出すには一体、教師はどのような準備または、工夫をすべきなのだろうか。これは、スポーツに例えることができる。
 実戦では、様々な展開が繰り広げられる。試合を有利にかつ自分のペースに持ち込ませるためには、知恵を基に対応する(戦う)必要がある。まずは、ルールを知ることから始まるが、戦術や一試合の流れを研究しなければ納得のいく結果は得られないと思われる。これは、講義でも同様であり、授業のストーリーの形を探求している先生としていない先生とでは、学生の反応や問題意識の質が大きく異なると考えられる。
 今回の講義から私は、聞き手を引き込むためには、自分の中で授業のストーリーを探求することが最も大切ではないかと感じた。



Vさん 

 今回この授業を受けて驚きであったのは、味蕾というものによって咽喉や食道でも味の判別が行われているということでした。私は小学生若しくは中学生の時、味覚地図を知りそれがずっと正しいと思っていました。部分によって感じる味が違うと思っていたので、漢方薬などの苦い薬を、当時、舌の中央部に乗せないようにしていたのを覚えています。
 しかしそのような事をしても、ものすごく敏感に苦味を感じてしまい「自分は苦みに対して敏感なのだ。」と思い込んでいました。今回舌だけでなく、喉や上顎、食道まで使って味を感じていると知って納得しました。
 そしてもうひとつ感じたのは、人間を含めた動物の本能というのは本当に面白いという事でした。味から敵であるか餌であるか、またこれは毒性であるか腐っているかといった判別を味でしていることまでは知っていたのですが、肉食獣が草食動物を食べ最初に手を付けるのは実は植物のエキスを取るためであるとか、現地人はギムネマやミラクルフルーツといったものを使って味を変化させ栄養を摂取しているといった事は初めて知りました。そうした一連の行動は、科学的根拠があってしているのではなく本能に従って行っているということを考えると生命というのは不思議であると思いました。
 私が教師を目指しているという点から考えると、この味覚修飾物質はとても良いヒントになりました。私自身は苦手な食べ物があまりないので、好き嫌いの多い人や偏食である人の気持ちがあまりよくわかっていませんでした。そのせいか極端な話、「食べられないものがあるというのは、我慢が足りないのでは。我慢して食べていればいつかきっと食べられるようになる。」と思っていました。しかし、食べ物が嫌いになってしまう原因はいくつかあって、それらの理由を知っておくという事は子どもと接していく上でとても重要ではないかと感じました。そしてこの味覚修飾物質を使えば食べられないものも食べられるようになるのではと思いました。また今盛んに叫ばれている「食育」とからめて考えれば、子どもに食に対する考えや意識を変えられるのではないかと思いました。
 最後に島村先生のプロフィールを聞いてすごい人だと思いました。誰もやらない事を10代でやろうと思い、それを行動に移した事がすごいと思います。誰かがやったことに手を加えたり、誰かがやった事をまねしたりというのは、人から理解されやすいので実行しやすいと思います。しかし誰もやった事ことがないというもの事に対しては、批判的に見られてしまいがちなのでそういった状況の中、自分を信じ一つの結果を出したというのはすごいことだと思います。私は講義で得た知識を大切にしていきたいですが、島村さんの精神も見習いたいと思いました。



Wさん 

1.講義を受けて
 本講義を受けて、私の味覚に対する意識の低さを痛感した。講義を受ける前は「味覚修飾植物は、舌を麻痺させることにより、味の変化が感じられる。一種の麻酔薬みたいなもの」だと思っていた。講義の冒頭でギムネマの葉を舌にこすりつけると、自分の舌がなんとなく痺れているような感覚がする。しかし、実際は味覚修飾物質が味蕾に蓋をするような形で、味を抑制しているのだということがわかった。自分の味覚修飾植物に対する先入観が「痺れている」という感覚にさせているのだと思う。また、味覚地図も少なからず信用していた。「教員は正しいことを知り、正しいことを教える必要がある」という島村先生の言葉が講義終了後、身にしみている。人にものを教える立場の人は間違った情報を流すことは許されないことを、味覚修飾植物を題材にして島村先生はおっしゃりたかったのではと私なりに感じた。

2.今後の展開や味覚について知ることの重要性
 現在の日本は食料が大量に廃棄されている現状がある。これは、日本国内では、たやすく食料を入手できる環境があるからである。簡単に手に入ればそのありがたみや食に対する興味関心が低下する。義務教育段階では味覚に関する授業に積極的に取り組めば食品に対する意識向上にもつながり食料廃棄の減少にも効果が出てくると感じた。食育という教育活動の中でも、味覚に関する授業は実際に体験することができるので、子供たちの興味関心を引き出すには最適だと考える。味覚の授業だけを切り離すのではなく、その先に授業展開ができるように教員は授業構成や教材研究をすることが大切である。

3.意見・感想
 私は講義後の感想に「味覚は適当なものだと感じた」と感想記入用紙に書いていた。しかし、実際に味覚に関する本を見てみると、とても複雑な構造になっていることがわかった。神経生理学者のパトリック・マック・レオは「95%が嗅覚で5%が味覚。おもな情報の大半は鼻腔から脳に入る」と言っている。島村先生はさらに、視覚、触覚など体全体を使って味を判断するとおっしゃっていたので、食育を体験学習と捉えて授業を作っていきたいと考える。



Xさん 

 この度は残念ながら1〜2限目に演習の授業が入っていた為、受講出来ませんでした。遠くからお越し頂いたにも拘らず、大変申し訳ございませんでした。講義の感想についてコメントが出来ませんが、プリントの内容と味覚実験についての感想と報告を行いたいと思います。また、私は味覚障がいを患っている為、味覚実験について感じ方が若干異なる場合がございます。何卒、御了承下さいますよう、お願い申し上げます。
 プリントを拝見し、特に興味を懐いたのはミラクルフルーツとギムネマでした。テレビや噂で耳にする事が多くあり、とても関心がありました。しかし、自分にも効果が表れるのか、また自分でも味覚(味)を認知する事が出来るのか判りませんでした。私の症状としては味覚障がいの異味症と診断され、苦味と辛味(塩辛い)との区別が判別できません。これは舌根と舌尖の味細胞の生成に問題があると言われています。プリントにも記載されている通り、亜鉛の接種を怠った為に細胞の構成物質となる要素が著しく減り、細胞が生成されにくくなってしまったことが挙げられます。これによる、味蕾の異常からくる味覚障がいと考えられます。この症状が出た時期としては、高校3年生から発症している為、受験でのストレスから来ている可能性も示唆されています。更に、舌全体にも影響があり、味覚減退があると思われる症状も確認されています。ただし、これは地域による風土や食生活による違いがあるため、一概には言えません。
 この点を踏まえた上で実験を行ってみたところ次の様なことに気付きました。
 まずはギムネマによる効果から始めたところ、視覚的に見ている状態から葉を口に含もうとした際に唾液の分泌量が増加しました。これは、梅干しやレモンなどを視覚的に捉え、イメージをすることで唾液が分泌される作用と同様の事だと思います。更に舌にギムネマを全体に擦り、特に舌先を重点的に擦るとビリピリとした感覚がありました。また、唾液を飲み込むと喉の奥付近が辛くて苦い感じがし、咽てしまいました。(本来ならば辛いのは苦い事になるのかもしれません)その後、甘い物(飴、チョコ、ミカン)を食べてみたところ甘味が微かに消えたような気がしました。普段から唾液の分泌量が少ない為、味自体が薄く感じているのですが。更に味がなくなったと感じました。ミカンの時は酸味と苦味だけで食べられたモノではありませんでした。
 次にミラクルフルーツによる実験を行いました。ここでもギムネマを含んだ時のように舌先に違和感がありました。むしろ今回は痛いという表記の方が正しいかもしれません。舌先自体には外傷がある訳ではないのですが痛みを覚えました。その後、レモンを食べてみると甘味を感じました。個人的に考えていたメカニズムは酸味を感じる部分を塞ぐことで騙している状態なのかと思っていました。しかし、プリントに記載されている内容で酸味は消えている訳ではなく、甘味を感じる鍵穴(味蕾)にミラクリンと酸味成分が組み合わさることで鍵穴を合わせ、甘味成分が酸味に勝ち「甘い」と感じるのだと知り驚きました。更に、チョコやミカンを試してみると甘味が増していることに気付き感動致しました。
 この実験を通して、味覚修飾植物による可能性を自分の立場から示唆(希望)していくと次の事を思い浮かびました。
 味覚障がいの中には部分的に味が判らなくなるという症状も多くあり、この味覚修飾植物による味覚障がい者用の治療薬へと展開される事を望んでいます。また、ミラクリンによる効果を利用した肥満治療や糖尿病患者への治療も可能となると思いました。知り合いに糖尿病を抱え、悩んでいる人がいるのですが、糖分の制限はとてもきついと言っていました。私達の食生活には糖分が含まれる食材や料理が多くあり、ほとんどが食べられない状態です。もしこの効果を応用した食べ物があれば、患者の負担を軽減することが出来ると思いました。更には食文化や料理の種類も増え様々な味の表現が出来るのではないかと思いました。
 今回の講義内容で食生活の管理の重要性と偏食や味覚障がいの危機意識が一層高まりました。実際、人はなってみなければその危険性と栄養管理の重要性に気付く事は出来ません。普段、我々が当たり前のように感じている味も還元すれば不思議なことです。味を感じることで危険な物や毒などから身を守るのだとすれば、なぜ危険物や毒への抗体が身体に備わらなかったのか、生理学上でいえば理屈としては多くの説が挙げられると思います。しかし、根底的には不思議なことなのです。また、経験や知識から得るものは必ずしも良いとは限らないと考えています。我々が持つ既成概念が本来の味を阻害する可能性もあるからです。このような独我論的思考でいい始めると話が膨らみすぎるので中略しますが、少なくとも「味覚とは何か」今後考えていきたいと思いました。
 まずは、味覚障がいになる前に対策と予防が重要であり、規則正しい生活習慣を身に付けなければならないと思いました。食への喜びがなければ人生の大半を失った様なものです。その為には「知る事」が大切であると思います。何よりも怖いのは無知や自覚症状がないことです。講義で味覚障がいが現実として存在し、身近にあるということを知ることが出来たのは栄養管理の第一歩だと言えるのではないでしょうか。少なくとも、レトルト食品などによる偏食やストレス社会といった現代病から今後も味覚障がいは増加する傾向があると思います。ここで、教育者を目指す者として子どもの食育指導が重要となると考えます。学校現場から呼びかけ、若者に多い偏食への注意を指導していかなければならないと感じました。(自分もですが……)

 *表記について 障害 =「 障がい」と表記させて頂きたいと思います。



Yさん 

 5月19日に味覚教育研究家の島村先生の講義を受けた。私は,講義のタイトルが「驚きの味覚体験〜ミラクルフルーツとギムネマ」と示されていたことから,味覚について研究している人が,小学校の教員になりたい人たちを対象に,味覚の研究内容を砕いて講演する程度だと考えていた。私自身がこの講義に期待していたことは,児童生徒の興味や関心を引けるような小話を仕入れることと,体験学習を体験することで,その優位性を知ることぐらいであった。しかし,島村先生の「味覚教育研究家」という紹介を見たときに,「味覚教育」という部分に興味が湧いた。講義を受けて,講義を受ける前と一番変わったことは何かと聞かれたら「私は味覚教育を受けたこと」と自信を持って言えるという部分である。今回の講義は「植物を通じて味覚の仕組みを理解する」ということで展開されていたが,科学的に味覚についての知識を得るだけの授業に留まらず,味覚に対して興味や関心を持つことができたこと,先生の話に吸い込まれるように聞き入ってしまった自分を感じることができた。これは,専門家以外にはただの小話レベルの話を聞くといったような講義内容ではなく,新しい知識を得ること,その知識を発展させたいという気持ちを持たせることであり,紛れもない教育であったことが理解できた。当初に予定していた,小話と体験学習の優位性だけでなく,「味覚教育」の素晴らしさに触れることができる講義で,とても楽しく,想像していた内容を遙かに超える有意義な時間だった。
 講義の内容としては,まったくの専門外の内容であったが,味を感じる仕組みが味蕾での鍵と鍵穴の関係の話に始まり,動物の食事を味覚の視点から理解すること,別腹とは何か,うまみの相乗効果といった内容がとても興味深く,どの内容も栄養や料理等の食育や人間の体の仕組みを考える手だての導入部分を担っていたと感じた。味覚教育により,家庭科の内容と重複し相乗的に理解が増す効果を実感することができた。また,実際に体験できることによる効果の実感は言うまでもなく,自分でもこのような授業がしてみたいと考えさせられる内容であった。
 最後に,少し脱線する話ではあるが,私が通っていた大学はQOLを考える医療福祉の専門家を養成する大学であった。この講義を聴いてQOLについて考えていたことを思い出し,感じたこともあった。少子高齢化社会や食生活の変化による成人病の若年化が頻繁に議論される現代社会において,ミラクルフルーツやギムネマ等の植物を,食生活に取り入れる有効な方法が検討されているということで,この領域には今後も注目していきたいと考える。



Zさん 

1.講義の感想
 「味覚」と聞くと「甘い、しょっぱい、辛い、苦い」というイメージがすぐ頭に浮かびますが「驚きの味覚」というタイトルを聞いてどのような味なのかとても興味が湧きました。ミラクルフルーツやギムネマを始めて食し、ギムネマを口にした後の飴の味やミラクルフルーツを口にした後のレモンの味が大きく変化していることにとても驚きました。今、糖質0の飲料や砂糖の代わりにアスパルテームを使ったお菓子、脂質50パーセントオフのバターなどスーパーでよく見かけますが、多くの人が健康に関心を示していることが感じられます。そういった社会の中で、ミラクルフルーツを使用したお菓子などがこれからもっと普及していくのだろうと感じました。
 また、別腹というのは言葉だけかと思っていましたが、胃にあるものを無理やり小腸へ送り出すという事実を知り驚きました。テレビで大食いの人を見ますが、その方たちは消化せずに小腸へどんどん送りこむことができているのかなと不思議に感じました。
 味雷の数も人では赤ちゃんが一番多く、またウサギやライオン、ハエなど人間以外の生き物も環境状況によって違うことを初めて知りました。ハエが手をこする動作は手の汚れを落とし味雷で判断するためであることや、ナマズは体全体に味雷があるなどとても興味深いお話でした。

2.味覚について知ることの重要性について
 乳幼児は「甘い、苦い、しょっぱい、すっぱい」などの味覚と言葉の意味をどのように学習していくのだろうか。この疑問は幼稚園に勤めていた時のことである。給食できゅうりとタコの酢の物が出た時、ある男の子が(5歳児)「しょっぱい」と言った。
 私は「この味の時はしょっぱいじゃなくて、すっぱいと言うよ。」と教えたのだが、子どもにとって「すっぱい」と「しょっぱい」は言葉も似ているので区別がしにくいのかなと感じた。講義で幼児期の味覚の形成が非常に重要であるとお話を聞き、「苦い、しょっぱい、すっぱい」などの感覚は家庭だけでなく幼稚園などの現場で体験を通した体験も必要なのかなと感じました。また、現代社会においては家族と同じテーブルでも別々のものを食べる個食や、一人で食べる孤食、一人暮らしで食事バランスが崩れるという食に関する問題があります。栄養の偏りにおける「味覚障害」は、味の濃度が分からなり、健康に大きく影響すると考えられる。バランスのよい食事を取るというのは、簡単そうに感じるが維持するのはとても大変である。しかし、食事は人間が健康に生きるためとても大切なので一人ひとりが意識を高くもち、子どもたちにその大切さを伝えていくことが重要であると考える。